21世紀の日本

7.生き方

7 生き方(1)-(5)

(1)生命の本質

人類が異常繁殖して資源を浪費し、気候変動を拡大させているが、果たして、人類は地球のために、他の生物のために何か役立つことをしたのだろうか

食物連鎖の頂点で生き物を殺して食べて蔓延ってきた人類が、造作物、廃棄物、温暖化で地球を傷めつけ、多くの生物種を絶滅させ、自らの命を縮める核を作り拡散させて危険な状況を作り出してきただけである。

遺伝子解析によって、植物も動物も人間も同じ幹から枝分かれしたもので、人類は特別に造られたものではないことが証明された。植物は、地球の海と陸の生成に関わり、『生産者』として太陽光と水とCO2を 取り込んででんぷんや糖を作り、窒素とミネラルからタンパク質や脂肪を作り出し、空気中の酸素を供給して地球の生物を養っている。人類は植物を底辺とする 生態系の広範な生物なしに生きられないのは厳然たる事実であり、この辺で、傍若無人的な生き方に気づき、もっと生き物と地球を大切にすべきだろう。

 

(2)思考が形成する社会

二度と戦争を起さないために、日本最大の事件=大戦の経緯を再確認して何が必要なのかを考えるとともに、市街地空襲・沖縄戦・原爆投下はなぜ実施されたのか、『勝者の歴史』に委ねずに検証する必要がある。

国の『上位者』政冶家と官僚の犯罪が日本人の心や社会を捻じ曲げたことを忘れるべきではなく、優秀な彼らが何故罪を犯したのかを突きつめ、法的な整備で再発を防ぐことが国家再生に不可欠である。

又、唯一の被爆国として核廃絶を進めるべき日本が、最大の軍事力・核を持つ米国に全面的に安全保障を委ねて基地を提供している姿が正しい選択であるのかどうか、歴史と現状を見据えて考えることが大切である。

現代は競争で成り立つ『比較社会』で、家族、学校、成績、学歴、容姿、就職先、収入、地位、健康、寿命まで比較し、比較対象によって自身の位置が揺れるために不安がつきまとう『不安社会』である。

日本人は、見掛けの豊かさと引き換えに「自制・謙虚・思いやり」「仁・義・礼・知・信」を、捨て去り、代わりに『カネがすべて病』や『自分さえよければ症候群』に罹り、1973年のオイルショックの頃から交通事故で「自分が悪いと思っても謝らない」ことが常識となり、プラザ合意の1985年頃から『得か損か』が日常の判断基準になり、謙虚さを時代遅れと勘違いした自己主張だけの人間が増え、ひたすら競争に勝つことを目指してきたが、人を押しのけて豊かさを求めても幸せになれないことに気づき、人生の本質と生きがいについて漸く考え始めたようである。

「日本人が直面した24事象・事件」に、心に思ったことが社会を形成したという事実がよく表れており、我々国民が思ったことが国の姿となることをもう一度考えて、生き方を見直すことが求められている。

 

(3)イチローの本質追求と日本人の体格

松坂大輔と松井秀喜が不振である。力をつけた結果体重が増えてしまい『俊敏性としなやかさ』が失われて、素早い動きができなくなり、故障が多くなったためである。『俊敏性としなやかさ』は野球の本質を追求したイチローの財産の一つで、もう一つは『持久力』で、一般人にとっても人生を乗り切るのに欠かせない。

鰹を江戸に運んだ八丁艪の舟は築地までの50里(200km)を、休みなく艪を漕いで1昼夜かかったが、その驚異的な持久力は、余分な体重を増やさないコメと魚の食生活と、足腰を使う労働で培われていた。

日本人はこの50年間ほどで急に体格が向上したが、それが果たして何かのプラスになっただろうか。

私は176cm・68kgで体格は良い方だが、徒に人より余計に食らい、人一倍酒を飲み、職業柄多くの魚の命を奪うことに加担してきたが、自分が他の生物のために役に立ったかという点では、雑草にもミミズにも劣り、近所でメダカを増やして小学校などに寄付し、小川に放流している小柄な男性の方が余程マシに思える。

カミサンは、152cm・41kgの『チビヤセ』で、力は強くないが粘り強く、コツコツと仕事をして長時間労働にも耐えられる。食べる量は私の6割で、40年でコメ・野菜・魚介類・肉などの食材を約10トン、金額で1日6~700円は節約するので1000万円ほど節約した計算で、カミサンではなく『カミサマ』みたいである。

尚、100歳以上の人の体格調査では『チビヤセ』型が多く、体重と寿命は負の相関を示している。

 

(4) 企業活動 の本質を見極める

私が30年勤めたA社は、海外トロールを含む遠洋漁業に漁具を納入して業績を上げていたが、トロール漁業は鉄球等がついた漁具で海底を傷めつける致命的問題、遠洋漁業は外国の沿岸で操業するという課題を抱えたまま200浬時代に入って急激に業績が悪化し、魚を輸入する水産商社に変貌していった。

私は富山県での営業の傍ら休み毎に定置網を潜って技術習得したことから沿岸漁業開拓を命じられて業務に邁進していたがリストラで退職した。 辞表を出す前に200浬時代の情勢分析を基に事業再構築を提言したが、上層部は右往左往するだけで対応できず、結局、事業所の多くが閉鎖・縮小され、従業員の4割強が退職した。

事業を継続発展させ、社員を守ることが使命の筈の上層部は、なぜ本質を捉えて企業の進路を的確に見据えて手を打たなかったのか非常な疑問を感じたが、私たち 社員も業務に埋没せずに社会に本当に貢献する企業としての本質を見極め、もっと考えて、自らのため、会社のため、国のために行動を起こすべきであった。

創業以来漁業に依拠し業界を牽引していた大企業もあったが、200浬時代に求められていた資源培養や漁場回復に乗り出すような企業は1社も現れず、情報と技術を駆使して水産物輸入に走り、国内の漁業者を一層窮地に追い込んだ。 業界や企業の盛衰を見ると「本質的にダメなものはやっぱりダメ」という結論に至る。

 

(5)私の選択

父親が東京日本橋で商っていた糸・ボタン問屋の倒産で急にチョ~貧乏になり、11歳で館山に都落ちした。

海 軍の兵舎だったオンボロアパートに住み、すぐワルガキ仲間に入り、メンコ・ビー玉・ベーゴマに熱中し、自衛隊の滑走路から渡れる「私の宇宙」沖の島に朝か らガキ連中とゾロゾロと通い、途中の畑でサツマイモ・トウモロコシなどを「調達」して、日暮れまで魚・タコ・サザエ・ウニ等を獲り、陸(おか)と海の獲物 を焚火で焼いて満腹するまで食べ、疲れると岩陰で昼寝をした。 秋はアケビや山芋を探して山々を駈け回った。  

ア ワビを獲ろうと畳2枚ほどの岩の下に潜って挟まって動けなくなってあわてたことや、柿を採ろうと登った木が呆気なく折れて背中から落ちて気を失ったことな ど、かなり危ない場面も、あるにはあったが・・・、思い起こすと、楽しいことばかりで夢のような日々だった。ひ弱な心と体はいつの間にか鍛えられていた。

就 職した会社の2度目の転勤命令が北陸の漁業市場開拓で、富山湾に隙間なく張り建てられている定置網を見た時、これを究めようと決めて新婚早々の妻に頼みこ んで、支給されたばかりの賞与をはたいて念願だった潜水機器一式を買い、潜水士国家資格を取り、休日毎に網を潜り、効率よく魚を獲る網型を考案し、次に転 勤した下関を拠点に全国を回って普及させる役割を担っていたが、大規模なリストラで退職した。50才だった。

唐突に転勤か退職かの二者択一を迫られた。転勤の場合は単身赴任となり、仕事に夢中で父親の役割を果してこなかった私にとって、悩みや不安を抱えていた子どもたちに関われる最後の機会を失うものであった。

意を決して退職し起業したが試練続きで経済的・時間的にギリギリで雛の巣立ちを後押しすることができた。

仕 事が組み立てられずに苦しい思いをした時から時々教会に通い、仕事を広げた頃に取引先漁業者の業績不振などの難題が次々と持ち上がったが、「自分さえよけ れば症候群」が少し治った頃に風向きが変わり、最大の窮地を脱することができた。思うに、何かに試されたような、導かれたような不思議な経過をたどった。

 

子ども達のよき相手だった柴犬ナツが死んだ時に大学生の長女が急遽帰省し、皆で泣きながら庭に深い穴を掘って、最後の別れをした時に家族の絆が強く感じられた。その後、長女は人生をしっかり歩んでいる。

欠 席勝ちだった高2の長男に退学を迫る校長や担任ら4人に対峙し、初めて息子の側に立ち「学校のやり方を毎朝校門の前でマイクで話す」という言葉が不意に口 をついた。4人が急に頭を下げて謝罪をした。尚も、私が声を上げようとした時、長男が吹切れたように「お父さん、もういいよ」と言って退学を決め、厳しい 引っ越しのアルバイトに耐えて大検に合格し、さらに1年後に志望大学に入り、進路を定めて巣立って行った。

二男は常に私の都合に合わせて手伝ってくれたが、仕事が減ったのを機に大学に入り、自立の道を進んだ。

早朝からの仕事、門司側からの朝日を仰ぎながらのウォーキング、心やすらぐ音楽と紅茶の一刻、日本海に沈みゆく夕日を見送りながら飲むビール、夕餉のうまい魚、の生活が続くことを願っている。

 

人類に貢献する漁業構築を

三陸各地の漁場や漁港で働いた者として、東日本大震災の惨状に言葉もない。

世界屈指の漁業基地壊滅という現実が立ちはだかっているが、国民が希望を失いかけている今こそ、安心して暮らせる国を造る道筋を明確に示すべきである。

漁業においては、『人類に貢献する漁業構築』という視点で、海の生産力増大を図り、総合的な漁場作りを進め、安全で機能的な漁港と水産加工基地を形成する青写真が求められている。

世界は、現状70億から25年80億、50年90億、2100年100億という人口爆発と、気候変動・環境悪化・家畜伝染病等で食糧不足が一層深刻になり、紛争や戦争を引き起す怖れがある。

飢餓・栄養不足に喘ぐ8億人分と毎年増える8000万人の食糧を増産する必要があり、動物性食糧は、広い海を持つ国が積極的に魚介類増産を進めることが求められていたが、先陣を切ったのは日本の10倍の民を抱えて食糧自給に邁進した中国であった。

中国は、日本のEEZ面積の2割しかなく、決して肥沃とは言えない海で、日本の技術によるコンブ養殖で魚介類産卵育成のための海中林を造成して資源培養を図り、内水面活用と並行して25年間で漁業養殖生産量を20倍に伸長させ、07年に日本の10倍の5600万トンに達した。

日本は、少子化で人口が2050年に現状の75%、2100年に40%弱に減り(100年前に戻る)、国全体が急激に収縮する過程にあって、工業品輸出や内需で経済再建を期待するのは全くの時代錯誤であり、工場で作る製品は低コストの後発国が主役となるという事実を受け入れ、日本人の優れた特性「自制・謙虚・思いやり」を取り戻し、経済至上から脱却した本質的な生き方を追求すべきだろう。

食糧とエネルギーは一層安全なものが要求され、罪深い人災を引き起した原発と『原子力村』が持つ危険因子をすべて排除し、農林漁業再構築によって食糧及び木材等の天然素材を確保し、自然エネルギー開発を鋭意進めて『食糧・エネルギー安全保障』確立を急ぐべきである。

特に、世界の食糧危機に対して、日本こそが、魚介類増産による動物性食糧供給を果たして人類を救うことができ、そのことに早く気づいて立ち上がることが求められている。

日本の海は変化に富み、世界一多様な生物と世界6位の広大な面積を有しており、卓越した増養殖・漁業技術を結集して海の力を引き出すことができれば、漁業生産で中国に追いつくことも夢ではない。一方、漁業人口は減り続けて約20万人となり、大震災の影響で青森・岩手・宮城・福島4県の漁業者36,000人中10,000人が漁業を断念するという調査もあり、今が日本の漁業を将来に向けて再構築できる最後の機会と捉えなければならない。

日本の目標として、EEZ面積当たり生産量を『中国の1/3』に引上げると、現状の10倍の5000万トン台となり、国内消費以外の4000万トン強を8億人分の動物性食糧として供給でき、平均単価25万円/トン(水産物輸入平均単価の約1/2)で輸出すると10兆円となり、09年輸出総額54兆円の2割に相当し、まさに漁業が基幹産業に成長する。その過程で100万人の雇用が生まれ、関連の漁船・機器・漁具業界や食品及び流通分野はその数倍規模に及ぶ。

その一歩として、TAC(主要魚種漁獲量管理)制度の活用で、現状の漁獲が可能な魚種と資源増殖を急ぐものに峻別して、魚種・漁港別に処理・加工施設復興計画を策定し、並行して資源培養効果の高い魚介藻類増殖事業構築によって積極的に資源増大を図ることが不可欠である。

国 レベルの喫緊の課題として、漁業法や水協法などの弾力的法運用、省庁の枠を超えた漁場・漁港整備事業を進めるための行政と研究機関の統合組織立ち上げ、事 業を断念する漁業者の比率が高い地区での漁民や仕事を求める人々による生産組合設立支援、漁業特区構想による漁民と共存できる企業の参入促進、等によって 生産活動再開を早期に押し進めることが望まれる。

これからの増養殖場や漁場構築の手法として、津波対策と並行できる漁場作りを提案したい。

日本沿岸の水深100m等深線(海岸からおよそ5~10km)内側の所要場所に海岸にほぼ平行に、材質・形状・構成を工夫した潜堤と離岸堤を並列に適宜間隔で数段ずつ構築して、津波の力を段階的に弱めて背後地域を防護し、その間や内側に海藻や貝類の増養殖施設を配置する。

潜堤と離岸堤自体が魚介藻類の産卵育成の場であり、魚礁であり、増養殖施設の防護体であり、施設を強固に係留する役割も果たすことができ、周囲は漁場として利用できるように海域全体を設計することによって、背後地域防護及び資源培養と漁場作りが並行して進められる。

今 回の津波では並列した離岸堤の防護効果が認められた反面、押し寄せた時に切れ目部分で水嵩が増幅したとの観察があり、それらの検証と模型実験による津波理 論追究と防護技術開発を進め、定置網その他の漁業における潜堤や離岸堤に対する魚群回遊・行動の検証も十分行う中で、漁業を総合的・科学的に構築して将来 に通用する近代産業に育成することが急がれ、国を挙げた事業として取り組むことが求められている。

国が経済再建と人類に貢献する確かな道筋を示せば、仕事確保と産業再生に直結し、被災地域の何よりの励ましとなり、若い力も結集でき、希望が見えてくる。

以上

7 生き方(6)-(7)

(6)かけがえのない地球に住み続けるために

立花 隆氏は、著書「エコロジー的思考のすすめ(:思考の技術)」の中で

「人類は進歩と繁栄を謳歌しながら、滅亡の縁に向かって行進しつつある。
これだけは否定しうべくもない。

・・・あるいはまだ いくばくかの望みが残されているのかもしれない。
とまれ、もし望みがあるとして、

その望みの唯一の手がかりは、人類がこれまで金科玉条としてきた
思考様式の変革にある。

・・・生態学の思想は、ある意味で人類に精神的な革命を要求している。
価値体系の転換を要求している。

この革命を通過することなしに、人類の未来はない。」と訴えている。

 

ヒトは宇宙・地球・生物のことは1%も分かっていないまま、自ら破滅するのは時間の問題と言われている。  このまま人口爆発、過剰な開発・自然破壊、軍拡・核保有争い、を続けて破滅へ向かって行くのだろうか。

人類が滅びても地球には何の痛痒も無く、次は、自然と調和する循環社会を形成する知恵を持った『超人類』か『超昆虫』が主役になるだろうと予測されている。

遺伝子解析からの『生物はみな祖先を同じにする兄弟』であるという事実は、「我々はすべての生物の頂点

にあって地球や生物を自由に利用できる」という、根拠のない思い上りを明確に否定しているが、殆どの人は、人類は他の生物が存在しなければ生きていけない、非常に脆い存在である、という本質に未だ気づいていない。

星野道夫は「人類は自然の中で生きてきた生物であり、これからも自然の中でしか生きていけない」という、生命の本質に気づき、大自然のへの畏敬と、その中で営々と生命を継承する動物と植物への尊厳を通じて、

一番大切なことを我々に教えてくれたのだ、と思えてならない。 

雄大なアラスカの山と大地と海、何処かを目指して悠々と移動するカリブーの気が遠くなるほどの長い群、寒風の中で岩に這いつくばってじっと耐え、命をつないで花を咲かせるワスレナグサ:Forget me not

などを見つめ続けて、壮大なスケールの自然の中の生命の愛しさを、写真と珠玉の文で『道標』として遺してくれた伝道者だったのではないだろうか(下記は『道標』の1節)。

「脆さの中で私たちは生きているということ、言いかえれば、ある限界の中で     

人間は生かされているのだということを、ともすると忘れがちのような気がします」

生命を育む青い水の星は、果てしない宇宙でも、他には容易に見つからない、かけがえのない存在であり、そこに生まれた人類を少しでも永く存続させたいと思う。

ヒトは、ヒトだけにではなく、地球のすべての生物に対して「自制・謙虚・思いやり」を持って行動するか否かが、自らを救えるかどうかを決めるというギリギリの瀬戸際に、来てしまったらしい。

 

(7)「第一幸福丸奇跡の生還」が残したもの

2009年10月20日午前6時に伊豆下田を出港した19トン・長さ19m・8人乗り小型漁船「第一幸福丸」は、いつもの八丈島沖漁場で操業を始めたが、台風20号接近で24日昼には大荒れになり、急遽帰港を決めて下田に向かった。Nさん(33)は船員となった最初の 出漁での作業の疲れと船酔いで、甲板下の居住区の寝台に疲れた身体を横にするとすぐに眠りに落ちた。その夜中に時化で船が転覆し、出入り用ハッチが開かな くなり、逃げ遅れた2人とともに狭い居住区に閉じ込められた。船は大きく揺れ、海水が入り込み、水も食料も皆無という絶望的状況下で3人とも心身が限界に 達した。Nさんは漁船に乗ったことを悔いた。  

ある時ハッチが開くことが分かり、チャンスとみたNさんが脱出しようとしたがベテランのUさん・Hさんが止め、Nさんは脱出を断念した。 この時、生死を分け、人の尊厳が試されていたことが後で分かる。

同船の連絡がないことを重視した伊豆漁協下田支所が25日7時頃に下田海上保安部に通報し、第三管区海上保安本部(三管)に連絡された。11:00三管に海難対策本部・下田に現地対策本部が設けられ、13:00三管羽田航空基地所属の航空機とヘリが出動し、14:00下田海上保安部の巡視船『かの』・横浜海上保安部の巡視船『いず』が現場に向かった。15:30三管から海自厚木基地第4航空群司令に捜索依頼が出され、16:00海自哨戒機P3Cが最初の出動をし、同日2回、26日2回。そして27日2回目の12:40出動で八丈島北方に漂流物多数を視認して三管に報告し、28日10:30八丈島北東55kmに船体を視認して三管に連絡した。

現場に到着した巡視船『いず』には『海猿』のモデルとなった羽田特救隊と同等の能力を持つ潜水士6人が乗船していて、28日12:10第 一幸福丸にゴムボートで接舷し、船底を叩いて「助けにきました。今からそちら向かいます」と伝えてすぐ潜水を開始し、下になった甲板からハッチを開けて居 住区に入り、年齢順にUさん・Hさん、次いでNさんにレギュレーター(空気調整弁)をくわえさせて誘導して短時間で救出した。

海上保安庁撮影の救出ビデオを見たが、連携がとれた、自信に満ちた無駄のない動きで、実に見事であった。

残念ながら先に脱出した4人は行方不明のままで、救命筏に乗っていた船長は発見時には亡くなっていた。

この奇跡は、孔子が論語の中で説いた『信』の大切さを示し、『和』が命を守ったことを教えてくれた。

逃げ遅れたが救出を信じて待った3人が助かった。Nさんは後に「二人がいたから頑張れた、一人だったらとても耐えられなかった」と話している。 『信じること』が運命を切り開くことがあるらしい。
UさんとHさんはNさんの脱出を止めたが、もし、卑怯な気持があったらNさんに脱出させ、成功でも失敗でも結果が分かるという利が得られた筈だが、極限状態でNさんを制した行動に人の尊厳が存在していた。
海自と海保の迅速な連携が生存ギリギリの救出を成功させた。とかく国民の批難を浴びている公務員にも、命を張って使命を遂行する人たちがいることを示し、日本も捨てたものではないことを知らしめてくれた。

 

 7 生き方(8)-(9)

(8)「ともに生きる」

若い時に読んだ「坂の上の雲」を映像として年末のTV総集編で視た。

旅順港を見 下ろす高台への攻撃に乃木希典率いる第三軍の将兵は薩摩と長州出身が多く、強力な機関砲を備えたロシア要塞に対して、歩兵戦の常道だった突撃を繰り返す強 襲戦法が用いられ、突撃の度に屈強の兵がその力を出す前に次々に撃たれて、屍の山を築くばかりの惨状が限りなく繰り広げられた。

100年前に列強に蹂躙されないように近代化を急いだ日本のために異国に散った兵士の姿が、その30年後の敗終前の日本で空襲や原爆で殺された無辜の人たちや、巨大津波に呑みこまれた三陸の人たちに重なり、可哀そうで、理不尽で、画面が涙で見えなくなった。

多くの先達のお陰で、生まれ、暮すことができることに思い至らないと罰(ばち)が当たるのではないか、

人だけではなく、縁もないような様々な生物のお陰で生きていられることに気づくことが大切ではないか。

人類だけではなく、全ての生物は命をつないでいるのであるが、「命の継承」を見た鮮烈な記憶がある。

当時小学生の二男を連れてススキの原で出会った光景で、交尾を終えた直後のカマキリの雌が鎌の一振りで雄の首を刎ね、頭と、頭がなくとも生きている胴体を瞬く間に食べてしまった一部始終である。

正月「ダンゴムシに心はあるのか(新しい心の科学)」という本を読んだ。 ダンゴムシに心があるなら、25年前に雌に食べられたカマキリの雄にも心があっ たろう。 昨秋カマキリの雄と雌がベランダに居つき、木枯らしの朝、庭から2階ベランダに届くネットと枯れた朝顔の蔓に卵鞘が産みつけられていたが、2匹 とも姿を消した。 きっと又、雄は雌に命を託したのだろう。春には仔がゾロゾロ孵化するので楽しみである。

古来、様々な文明が滅亡していったが、人類の無知から環境を破壊した結果で、人口爆発と食糧危機、温暖化と原発・核兵器問題を抱えた現代は他の生物のことは眼中にないかの現状で、危うさは一層深刻である。

科学も経済も人類だけが、あるいは先進国だけが有利になるもので、いずれ自らの首を締めるのは明白で、ヒトがヒトと共生しながら他の生物と共存するように方向転換し、先進国ほど消費や利を抑えて、「自分さえよければ症候群」から脱して謙虚に生きることが、生き残りにつながるのではないかと思えてならない。

文明や科学は人類の都合だけで追求している内はまだ本質を追究し得ていない。 宗教も然りで、キリスト教も仏教も例外ではなく、多分イスラム教も例外ではないだろう。

教会の牧師が常々言っている「天地万物を創造し支配される父なる神」という言葉が本当なら、巨大津波も神が起こしたのか、神は本当にいらっしゃるのか、と いう疑いを抱いて、3.11以後、教会に行けなくなった信者が少なくないが、そのような迷いを持った信者と一緒に苦しみ求道する牧師は殆んど見当たらな い。

 

(9)「生きる」ということ

The Road (道)」 という映画が評判である。 何かの異変で地球が破滅的な惨禍を受け、太陽が出ず、気温が下がり、食糧が枯渇し、人同士が殺し合って相手の肉を食べないと生 きられないという極限の世界で、人肉を食べることを拒んだ父が、幼い息子と南に向けて歩き続けるが、例え明日絶望的な危機が訪れようとも人としての矜持を捨てず、我が子を守るために生き抜こうと、希望を持ち続ける父親の姿に感動する。

地震や津波より破壊力が大きい終末的大災害は、巨大な天体落下物によって起こると想定される。

1908年(明治41年)にシベリアで起きた『ツングースカ大爆発』は隕石か彗星によるものと見られ、広島型原爆数千発分の破壊力で、壊滅した針葉樹林帯はおよそ東京都の面積ほどで、木々が全てなぎ倒されていた。

それが隕石の場合は、直径50~100mクラスと推定され、東日本大震災のマグニチュード9級が起こる確率(100年に数回)の1/10ほどの、地球に数百年に一度落ちる確率と言われるが、もし現在の東京に落ちれば数百万人に被害が出て地獄絵のような惨状を呈し、その衝撃で原発が破壊されると、福島第一原発の事故どころではない大爆発が起こって日本列島が致命的な影響を受ける。

だが、地球上ではツングースカ大爆発の、数百万倍のエネルギーによる被害の実例がある。 

6500万年前にユカタン半島に落下して地球大異変を起こし、数千万年もの間に進化を遂げて繁栄していた恐竜を絶滅させたと言われる直径15kmの巨大隕石(小惑星)衝突である。影響は地球全体に及び、超高温の熱と想像を絶する衝突の衝撃による破壊に加えて、高さ千メートルに及んだと推定されるケタ違いの大津波が地球のほぼ全域に襲いかかったと見られている〔20103月:国際研究チームの最新調査結果発表〕。

ユカタン半島級の小惑星が地球に衝突する確率は、数千万年に一度とされるが、その巨大隕石が、宇宙から見てほんの僅かな隙間ほどの地球と月の間を、1990年代に4ケも通り抜けて行ったという米国軍事監視衛星の観測記録があり、それがいつ地球に衝突しても不思議ではなく、数日後にも起こり得る。

それどころか、宇宙では、その数億倍から数兆倍のエネルギーの大爆発なども、しばしば起きている。

地球があるのも、人類が存在するのも、偶然の、偶然の、偶然の積み重なりで生じた奇跡だと思われる。

ヒトはいつ死ぬか分からない。

生まれてからずっと、死に向かって進んでいるのであり、
その日は、遠からず、確実にくる。 

宇宙のスケールと時間から見れば、マッチ1本の火にも及ばないが、
小さくて、ごく短い一生だから、

明日がどうなろうと、誰かのために、自分を信じて、
矜持を保って精一杯生きることが、

急がず、欲張らず、人や生物に迷惑をかけずに、
質素に生きようとすることが、

『神』あるいはSomething Great 』に適うのでないだろうか。