コラム

私の時代認識

31.私の時代認識13

2010年07月03日

 2010年1月からの『時代認識』は半年を経ましたが、このテーマはこの辺で区切りをつけて、
今後どうあるべきかというテーマに移ろうと考えています。『時代認識』をまとめてみます。

【日本人が直面したもの】
 ヒトは『確かなもの』が崩れ去った時に不安になります。 前号で日本人が大きな影響を
受けた事件や事象を拾い出しましたが、一部追加して類別整理します。
(○内数字は、影響を大きく受けた、又は今後大きく影響を受けると思われる順位を示す)

 

〔地球規模の問題=環境・人口・食糧・災害・国際情勢・安全保障・経済〕

①地球異変が疑われる生物種絶滅、人類存続に警鐘を鳴らした人口・食糧問題と温暖化。
②阪神淡路大震災、アジア各地の大地震と津波、異常気象、鳥インフル・口蹄疫の流行。
③東西対立、朝鮮戦争(南北分裂)、北朝鮮の在日家族帰還・拉致事件・核とミサイル。
④日米安全保障条約の成立・安保反対闘争・沖縄基地問題、ベトナム戦争、イラク派兵。
⑤冷戦終結後の米一国支配による不安定な世界情勢と先進国都合のグローバル経済破綻。
⑥中国・インドなどアジア勃興、産業空洞化と輸出不振、経済停滞とデフレ、財政悪化。


〔軍・政冶家・官僚など『上位者』の驕りと誤り〕

(戦時・終戦直後)
①維新と明治の統治から始まった天皇制が統帥権・神国思想で強化されて大戦に至った。
②軍隊が行った中国など国外での虐殺・生体実験を含む捕虜虐待、公安警察の民間弾圧。
③政治家・教師・宗教家・マスコミ等、国民の側にたつべき『上位者』の戦争協力賛美。
④軍神・戦艦大和・ゼロ戦・本土決戦が、連合国の科学・技術力・物量・原爆に敗れた。
⑤戦争責任は『戦犯』でケリ、政軍官学産の何処にも反省なく、戦後平気な顔で再登場。

(戦後~現代)
①総理・大物政治家の犯罪、長過ぎた自民党金権・既得権益政治と操っていた中央省庁。
②警察を含む官僚の犯罪、隠ぺい・保身・権力保持構造、利権保持の天下り先法人乱造。
③人間の卑怯さと怠慢さを繰り返し見せつけた、社会保険庁不正・怠業、組合ヤミ専従。
④生命健康を奪った公害(水俣病・第二水俣病・四日市喘息)と薬害(エイズ・肝炎)。

 

〔日本人の生き方と課題〕

①日本人の多くが『自制・謙虚・思いやり』の生き方を捨てて、カネ至上主義になった。
②食糧と安全保障を外国に頼った脆弱な国家、食・命・将来の不安、飽食と便利な生活。
③イジメ、家庭内暴力、凶悪犯罪、自殺を引き起こす『自分さえよければ症候群』社会。
④少子高齢社会、老後・傷病・障害・介護の負担と不安、就労・収入悪化、年金先細り。
⑤バブル期に企業・銀行を先頭に各種団体・病院・学校法人・宗教法人まで投機に狂奔。
⑥エセ識者が称賛したオウム真理教の怖さ。有能な技術者が簡単に洗脳され殺人を犯す。


【日本人が忘れてはならないもの】
 社会運動家から出発した菅直人氏が首相になりましたが、大切なのはこれからです。
民主党政権になって、よい面もありましたが、鳩山由紀夫氏の『自覚欠如とブレ』、小沢一郎氏
の自民党的体臭と角栄的手法は民主党の評価を下げ続けたと言えます。

 

 参院選で、自民党幹部や候補者が、基地問題・財政赤字・農政無策・官僚依存・格差等を挙げて批判しているのが、不思議で、滑稽でもあり、誰が言っているのか思わず顔を見てしまいます。
「オイオイ、それは君らの自民党政権の遺産だ、知らんふりは卑怯だろう」と言いたくなります。

 

 いつの間にか日本人はこのような「恥知らず」になったのでしょうか。
事 故などで「自分が悪いと思っても絶対に謝らない」が常識となった現在の社会は、1973年第一次オイルショック頃から見え始め、1985年プラザ合意後の バブル経済以降に日本人の生き方が明らかに変わりました。(NHK「日本人の意識調査」などにも傾向が見受けられます)

 

  日本人が直面した21事象の内、地球規模の事象6を除く15の事象に、すべて心の持ち方が強く作用していることに気づきました。 『心に思ったことが現象となる』ことを再認識し、社会を歪めた事件を忘れず、問題を着実に是正することがよい社会を形成する基本だと思います。

 

  特に日本史上最大最悪の事件であり、ケタ違いの犯罪と惨禍を招いた大戦の要因・状況・責任を、日本人は絶対に忘れてはならず、戦後社会を主導した政冶家と 官僚など『上位者』の犯罪や不正によって日本人の心や社会が捻じ曲げられたことも、決して忘れるべきではないと思います。

 

 そして、個々人において大切なことは、「自分だけよければ症候群」と「カネ至上」の生き方から脱却し、もっと本質的な生き方を模索し、社会に無関心にならず、地域においてできることから取組むことが求められていると感じます。

 

【20世紀という時代】
  立花 隆氏は「21世紀 知の挑戦」で、「20世紀ほど人間のあり方が劇的に変化した時代はいまだかってなかったのではないか。『日は昇りまた沈む/天が下新しきことは何もなし と』いう伝道の書が共感をもって読まれた時代もあったが、結局20世紀は伝道の書のアンチテーゼのごとく、あらゆる変化が加速度的に進行し、今もしつつあ る・・・」と述べています。

 

 現代の科学・技術・政治・経済の殆どは20世紀に起きたものと、その結果です。
無論20世紀はその前の時代の続きであることは当然ですが、この1世紀は断然突出しており、その意味でも21世紀をどのような時代にすべきかが、人類最大の課題であると言えます。

 

  19世紀初頭の蒸気機関車・蒸気船によって陸海の交通が急速に発達し、植民地争奪を促し、戦争・略奪・奴隷制・アジア進出に拍車を掛け、19世紀後半に は、米国が国内を安定させた後にアラスカ購入、ハワイ併合、米西・米比戦争で植民地・保護地域を確保して力を備えていきました。

 

  20世紀に入ると、米国が第一次大戦参戦で存在を示して欧州主導だった国際舞台に躍り出て、第二次大戦で、英・ソ・仏・中華民国に物資支援を行い、日本の 真珠湾攻撃を機に連合国側に入り、欧州戦線で独軍を破り、世界初の原爆を完成して広島・長崎に投下して日本を屈服させました。

 

 米国は、太平洋の島々を統治領として治め、沖縄などに基地を作り、豊かな資源・食糧・経済を背景にして核などの軍事力増強と宇宙開発を強力に進めて世界のリーダーに駆け上がりました。
一方、(私が)20世紀の平和に最も功績のあった政治家と考えているゴルバチョフ氏が進めたペレストロイカは、東欧革命を生んで、ソ連自体の崩壊と冷戦終結という結果を見ました。

 

  科学(Science)技術では、蒸気機関に代わる内燃機関実用化、自動車量産、船舶大型・高速化、航空機発達はいずれも20世紀の技術革新によるもの で、世紀後半にはコンピューター・電波望遠鏡・人口衛星・分子生物学(DNA等)+バイオ技術が登場して、ヒトの思考転換が迫られました。

 

 産業・生活・環境分野では、20世紀の人類の活動総量は、19世紀までの十万年の現生人類の活動総量より多く、そのために、CO2を初めとする温室効果ガスによる地球温暖化は、20世紀のヒトの活動によってもたらされたと言われます。

 

 私が最も衝撃を受けたのは、遺伝子解析から『全生物が一つのファミリーを形成している』即ち、『生物はみな、祖先を同じにする兄弟』であるという厳然たる事実が判明したことです。
これは、キリスト教の「神が、人間と人間以外の生物を分けて創造された」とする教えに反し、多くの人が持っている「ヒトはすべての生物を利用することができる」という根拠を揺るがします。

 

  これはコペルニクス地動説「天体の回転について」に匹敵する、社会通念の転換を迫る一大事で、 20世紀に最も影響を与えた人物(と私が考えている)アルベルト・アインシュタインの「相対性理論」が核エネルギーの可能性や宇宙生成解明『ビックバン』 理論等を示唆した事実ともに、20世紀の科学を象徴しています。

 

 これらの20世紀に登場した科学技術は、言わば『神の領域』にまで踏み込むような本質の解明と宇宙から物質・エネルギー・生命・食糧までを包括する遠大で且つ卑近なものです。
だからこそ、地球の運命を委ねられている人類には「自制・謙虚・思いやり」が一層必要であると思えてなりません。 (続きます)

カテゴリ:私の時代認識

30.私の時代認識12

2010年06月03日

〔戦後処理で失ったもの〕

 極東国際軍事裁判は、戦勝国が敗戦国を一方的に裁いたこと、JHQ最高司令官マッカーサーの統治上の 意向で天皇の訴追が回避されたこと、統帥権を利用して作戦を決めた軍令部将校が訴追を免れた点、連合国軍の市街地空襲と原爆投下が裁判の対象から外された 点、において国際法上疑義ありと有識者が指摘していますが、国民感情としても同様な見方になると思います。

 

 A級 戦犯(戦争指導)約200名の内、東京裁判では起訴28名中、病死等を除く25名が有罪(絞首刑7名、終身刑16名、有期禁錮刑2名)となり、主としてア ジア各地で行われたA級・B級(通例の戦争犯罪)・C級戦犯(人道上の犯罪)は殆どのケースで弁明の機会すら与えられずに判決が出され、合計1000人以 上が処刑されました。

 

 罪を犯した政治家・軍人・官僚の多くが刑を免れており、それが「うまく立ち回らなければ損する」「誰も見ていなければ逃げ切れる」という戦後社会の不公正な風潮を生み、政治家や官僚の犯罪につながっていったものと推測されます。

 

  半面、無実であるのに外地住民や兵士の誤解・捏造・復讐心、あるいは日本兵による密告等で、処刑又は殺害された人が多かったと見られ、沖縄戦での惨禍・市 街地空襲・広島長崎の原爆投下、シベリア抑留についての国の救済と相手国への責任追求がなされず、戦争=日本史上最大の事件の総括が不本意なまま決着が図 られ、日本人の心の底に滓のように溜まっていました。

 

 又、これまで、天皇の戦争責任を論ずるのを避けてきたことも尾を引いてきたと思います。

  昭和天皇がマッカーサーとの会見時に「政治、軍事の全責任は私にあり、私自身を連合国に委ねる」と伝えたとされておりますが、それが事実と判明すれば、戦 争で亡くなった人、傷病を負った人、それらの家族・知人・恋人、様々な被害者にとって幾何かの救いになるものと思われます。

 

  連合軍の猛攻撃の盾となり捨石となり、基地を押し付けられた沖縄の人々、戦闘や飢え・病気で亡くなった戦地の兵士や民間人、敵艦に体当たりした若き特攻隊 員、市街地空襲や原爆で亡くなり傷ついた無辜の人たち、外地から帰還中に命を落とした人や置いて行かれた残留孤児、理不尽なシベリア抑留で無念の死を遂げ た人、そして日本の軍隊に殺戮された外国の人々、憲兵や特高などの被害にあった民間人、等々の『犠牲』の上で、この国が現在の形で存続でき、私たちが生き ていられることに、もう一度思いを致すべきでしょう。

 

 

 私たちにできることは、二度と戦争を繰り返さないことであり、歴史を振り返り、犠牲になられた人々に対する悼みと、外地で厳しい状況下にあった日本人を助けてくれた人々に感謝の気持を忘れないことが最低限の務めだと思います。

 

〔政治家・官僚の犯罪・不正で失ったもの〕

(昭和電工事件)

  終戦から僅か2年後に、芦田首相・西尾副総理・福田赳夫主計局長らが昭和電工の工作資金を受取り、翌年起訴されて内閣総辞職に追い込まれましたが、58年 の東京高裁で「金の授受は認められるが賄賂とは認識していなかった」という理解しがたい論拠で無罪となり、逃げ切っています。

 

(造船疑獄)

 1954年、山下汽船社長・日立造船社長らの逮捕に続いて、政治家・官僚・企業絡みの不正融資に関わる贈収賄事件で大量70名が逮捕されましたが、本命の佐藤栄作自由党幹事長・池田勇人政調会長が逮捕寸前の指揮権発動で逮捕を免れ、戦後政治の一大汚点となりました。

 

 池田勇人・佐藤栄作・福田赳夫の三氏は、自民党総裁・総理になりましたが、戦後間もないこの二つの事件が『逃げ得』という風潮を一層強めて社会を汚染して行きました。

 

(ロッキード事件、その後の政治家の犯罪)

 1970年代にロッキード社のトライスター売込み工作が、米・オランダ・メキシコ・日本などで政財界を巻き込んで行われ、現職のニクソン大統領が関与していた実態もありました。

  田中角栄元首相・橋本元運輸相、佐藤政務次官が受託収賄等で逮捕され、全日空・丸紅の贈賄と権力闘争、政商や右翼が絡む『総理の犯罪』が明らかになり、国 民の期待を担った『今太閤』も、老練・気鋭の政治家も一流企業も全く信用できない存在だったことを思い知らされました。

 

 さらに、1988年リクルート、92年東京佐川急便事件、93年の自民党元総裁金丸 信の脱税など、政治家のカネ絡みの事件がこれでもか、これでもかと続き、政治家の犯罪が常態化しました。

 

(官僚・警察の犯罪や不正)

 日本の官僚に対する国民の信頼は厚いものがありました。 それは、武士の『死を以て責任を取る』意識が維新後に継承され、官僚に強い自制心があったためと考えられます。

 ところが、近代化とともに国力をつけると、軍部という日本史上最悪の官僚が天皇の統帥権を背景にして台頭し、自制心は狂気のファシズムに変わって戦争に突き進みました。

 

 戦後、政治家の犯罪が次々に起こると、暫く鳴りを潜めていた官僚が、今度は私利・私欲(表向きは国家と国民のため)でカネを目的とした犯罪を引き起こしています。

 政治家や官僚は日本人の中でも優秀な人たちですが、自制心だけでは己を律することができないようで、人間は誰も非常に脆い気持を持っていることが分かります。

 

  96年に厚生事務次官収賄、98年に大蔵省接待汚職が起り、薬害エイズ事件とB型肝炎では、病気を喰いとめるべき厚生省が患者を増やしていた実態、 2004年発覚の個人情報漏洩をキッカケに、社会保険庁のずさんな年金管理と不正、労組ヤミ専従が明るみに出され「人間はここまで無責任で卑怯なことがで きるのか」という問いを突き付け、高齢者は無論、国民全体を不安にさせました。

 

  又、市民を守る筈の現職警官の婦女暴行殺人や、県警の裏金問題なども許し難い事件です。

  政府・官僚機構・警察組織の権力は絶大で、それだけに絶対に許せない気持と人間不信が募り、人によっては「それならこっちも・・・」という『不正の正当化』につながります。

 

  人間は誰でも「楽をしたい。カネを手にしたい」という本心があり、監視がなければ業務をサボり、政治家や官僚は税金を勝手に使いたいという欲望があるものと考えておく必要があります。

 

  現場で仕事をする公務員には使命感がありますが、その上司は国民ではなく上位者の方を見て仕事をし、自分を守ってくれる存在に忠誠を誓う習性があります。それは企業でも同じ構図です。

 

  民主党の事業仕分で官僚に対する監視機能が働くようになりつつありますが、政治家と官僚を監視するには、公務員制度改革と並行して情報公開制度を推進するとともに、不正を行った政治家や官僚の上位者ほど厳しく罰する法律を作ることが公正な社会形成に不可欠です。

 

〔経済優先の社会で失ったもの〕

  『世相と犯罪データ』を見ると、社会秩序が破壊して生活が苦しかった終戦直後より、秩序が回復してモノが豊かになるにつれて重大犯罪が増えており、凶悪事件や短略的犯行が目立ちます。

 

  『犯罪白書』によると、生活苦による高齢者の犯罪と女性の万引きが増加しています。

  小中学生のイジメが横行し、自殺者は毎年3万人を超えていますが、カネ優先社会=比較社会⇒『自分さえよければ症候群』社会の歪が犯罪や自殺を生んでいると思われます。

 

  カネ優先社会でもスポーツは実力の世界の筈でしたが、プロ野球の盟主的存在の巨人が姑息な手段で江川を獲得しようとした『空白の一日』で長年の巨人ファンがシラケてしまい、制度を捻じ曲げて他球団のエースや四番をカネでかき集めるやり方がフアン離れを起しました。

  『自分さえよければ症候群』に染まった球団、そのような社会全体に対する強い抗議の表れと見るべきです。

 

  18世紀に起こった産業革命は、機械化による大量生産を促進させ、19世紀は戦力を強めた国が製品と産物を売りつけるための植民地獲得競争が起こり、20 世紀はその延長で2度の世界大戦に突入し、戦後は大量消費を煽って経済・輸出戦争を繰り広げた結果、世界的な経済不況と温暖化を招き、幸せを感じることが できないのが、この250年の資本主義の歴史です。

 

 モノが溢れ、情報が錯綜する現代は人生観・価値観がブレるた め不安に陥りやすく、『確たる何か』を求めています。昨日、鳩山首相が「本質」と「主流」を見分けらないまま辞任しましたが、小沢一郎氏のカネにまつわる ウサン臭さと、自民党時代から引きずっている古い体質を国民が感じ取って、不信任を突きつけたのが真因だと思われます。

 

 今、どうすれば悔いのない人生、幸せな人生を送ることができるか、かけがえのない地球や国を子や孫にキチンと引き継ぐにはどうすれば良いか、という本質が問われています(続きます)。

カテゴリ:私の時代認識

29.私の時代認識11

2010年05月25日

【幸福度】

 「今幸せですか。今の社会を、子や孫に引き継げますか」⇒あなたは「ハイ」と答えられますか。

 様々な機関や研究者が『幸福度』『幸福度指数』『平和指数』等の調査発表をしています。

 

 全米科学財団による97ケ国・地域 『幸福度・生活満足度』2008年アンケート結果

上位

1位デンマーク・プエルトリコ・コロンビア・アイスランド・アイルランド・スイス・オランダ・カナダ・オーストリア・・・15位ニュージーランド・16位米国・20位アルゼンチン・25位オーストラリア・27位タイ・30位ブラジルなど、

中位

35位ベトナム・36~45位EU主要国(ドイツ・フランス・スペイン・イタリア)・43位日本・48位台湾・54位中国・・・62位韓国・64位イランなど、

下位 69位インド・88位ロシア・イラク・ウクライナ・アルメニア・97位ジンバブエ。

 

 英国新経済財団による約140ケ国の幸福度指数(生活満足度・寿命・環境)2009年ランク

上位

1~10位にコスタリカ・ドミニカ・ジャマイカ・グアテマラ・コロンビア・キューバ・エルサルバドル・ブラジルなど中南米の国が続き、5位ベトナム・12位エジプト・14位フィリピン・15位アルゼンチン・20位中国・23位メキシコなど、

中位

40~70位にEU諸国・75位日本・90位カナダ・100位オーストラリアなど、

下位 100~120位にロシア・米国・・130位以下にアフリカ諸国(最下位ジンバブエ)。

 

 英国研究機関EIUによる144ケ国の平和度指数「Global Peace Index 2009」

上位

ニュージランド・デンマーク・ノルウェー・アイスランド・オーストリア・スウェーデン・日本(7位)・カナダ・フィンランド・スロベニア・クロアチア・アイルランド・ドイツ・スイス・オーストラリア・シンガポール・フランス・英国・イタリアなど、

中位

ベトナム・インドネシア・中国(74位)・米国(83位)・ブラジル・イランなど、

下位 北朝鮮・ロシア・パキスタン・コンゴ・スーダン・ソマリア・アフガニスタン・イラク。

 

 幸福度は主観によるために設定条件で異なりますが、上記3つの結果には共通点があります。

 GDP(経済指標)・寿命(=GDPと正相関)と関係ありますが、絶対的要素ではなく、

①豊かな自然環境(節度ある暮らし)、②民主的社会、③安全な社会、④成熟した社会(他人に配慮できる社会)、⑤武力を行使しない国、が国民の幸せや平和に結びつくようです。

 

 私は、カナダ・オーストラリア等の広い土地を持ち、人口が少ない国が上位と予想しましたが、ヒトは良好な人間関係が得られる社会においてこそ、生きがいや安心感が得られるようです。

 

 ヒトは過去よりも状況や条件が悪化した時に不安感や不満を持ちます。

 又、周囲の現象や事件に理解が追い付かない時に得体の知れない怖さを感じ、慄きます。

 日本は急激な経済成長がもたらした便利すぎる生活と、飽くなき欲望と引き換えに、

 大切な『何か』を失ったと感じ始め、混沌としてきた社会に怖れを抱いていると思います。

 

【大戦~戦後~現代の世相と事件】

 日本人が失った『何か』を知るために年代別世相と重大事件(社会に大きな影響を与えた事象・事故・被告が死刑かそれに準じた判決事犯)を調べてみました。 ( )内1945~49年100の時の10年換算指数

〔世相・事件は「Wikipedia」等を参考に、事件件数は「事件史探求」等を参考にしました。〕

◎世界的な事件・問題、①政・官・学が関与、②社会的事件、③事故、④殺人(件数の約90%)

年代 (元号)

世 相

事件の傾向、 重大事件総数/
金品絡み件数 ○特筆事件

第二次大戦1939~45年

(S14~20)

1942年ミッドウェイ敗戦以後は虚報の『大本営発表』を信じ、勝利を願い、物と食料不足に耐えた。

◎この戦争は日本史上最大の事件。軍部・兵士などの犯罪は最悪であったが、戦時中のために不問扱い多数

①捕虜生体解剖事件:読むと吐き気を催す狂気の犯罪

1945~49年

(S20~24)

5年間

戦争遂行と、迎合したことを総括しないまま新しい時代に入った。

制度混乱と社会規範が緩む中で

誰もが生きることに夢中だった。

金品や食料目的の犯罪が多い。 40(100)/27(100)

帝銀(冤罪)三鷹事件(公安絡み)等の再審事件が多い

①極東国際軍事裁判:A級戦犯(指導者)7名絞首刑他

①昭和電工事件:芦田首相・福田主計局長他起訴⇒無罪

1950~59年

(S25~34)

冷戦構造の固定化と朝鮮戦争。経済復興を最優先に食糧・物資の生産増大と輸出増を図った。

事件多く捏造・公安事件増加。 102(128)/36(70)

①造船疑獄:佐藤栄作幹事長指揮権発動で逮捕を免れる

②水俣病:企業・行政の放置で拡大、被害者救済が遅延

1960~69年

(S35~44)

安保条約発効と反対闘争拡大。

高度経済成長で三種の神器など便利さと快適さを求め続けた。

事故と公害病で社会不安増大。 90(113)/38(70)

③航空機墜落:羽田沖・羽田空港・富士山麓・松山沖

③三井炭鉱爆発:死者458名と重症者(補償交渉30年)

1970~79年

(S45~54)

ベトナム(冷戦代理)戦争終結、

死者800万人・米軍の深い爪痕。総理府調査「物質的豊かさより心のゆとりが欲しい」割合が41%。

江川獲得で巨人『空白の一日』。

『総理の犯罪』が日本を激震。 80(100)/34(63)

①ロッキード事件:田中角栄元首相他政財界の大物逮捕

①制服警官の女子大生殺害:勤務中に暴行殺害

②赤軍:浅間山荘・テルアビブ・ヨド号・ダッカ事件

④開成高校生殺人:家庭内暴力の息子を父親が絞殺

1980~89年

(S55~H1)

プラザ合意⇒バブル⇒地価高騰

「カネ儲け」が市民関心事になり

OA化とクルマ個人所有が進み、

自制・謙虚・互譲が失われた。

校内暴力・いじめが頻発。 102(128)/43(80)

①リクルート:政官財に未公開株譲渡、大物は逃げ切る

①大蔵省接待:不正融資の銀行に大蔵官僚が便宜供与

②中野富士見中いじめ自殺:教諭加担の「葬式ごっこ」

1990~99年

(H2~11)

バブル崩壊⇒経済停滞・デフレ。

地球環境が緊急且つ最大課題。

国民を失望させた政治家の『罪』

人間不信を強めた官・学の犯罪。

世紀末に異様な宗教団体現れ、

中学生イジメ自殺・少年犯罪・凶悪殺人が急増、不安感広がる。

事件最多, 凶悪事件相次ぐ。 107(134)/43(80)

◎第3回地球温暖化防止京都会議:京都議定書の議決

①東京佐川急便事件と金丸 信脱税:政治家カネに踊る

①厚生次官収賄と薬害エイズ:官僚・学者の驕りが起した

②オウム真理教:地下鉄サリンなど狂気か本気か疑問

②西尾中学いじめ自殺:優しい被害少年の遺書が哀しい

④少年による連続リンチ殺人:最高裁が異例の死刑判決

2000~07年

(H12~19)

8年間

小泉劇場アジ演説で選挙に大勝郵政民営化・弱者切捨て・格差拡大・自衛隊派遣・靖国参拝など。

官僚や警察の事件が頻発。

63( 98)/17(39)

①社会保険庁:不正・ずさんな業務実態が次々発覚した

②名古屋中学生5千万円恐喝:殺害まで計画していた

 

 

【日本人が失ったもの】

〔戦争で失ったもの〕

  戦地兵士・軍属230万人と、終戦間際の沖縄侵攻・空襲・原爆で市民80万人が犠牲になり、怪我や病気をした人はその数倍で、身近な人が死亡や傷病を負っ た影響を受けた人、生活・仕事・財産を失った人は、さらにその数倍に及び、国民の大半が深刻な打撃や何らかの損害を受けました。

 

 戦争は軍部や一部の人間が行ったものではなく、行政・企業・団体・自治会・マスコミが率先して大東亜共栄圏構想に加担し、大学・学校、寺院・教会、芸術・芸能界も同調して、又一般人も、国家総動員法、治安維持法の締め付けによって、心ならずも迎合して協力しました。

 

  特に、国をリードする立場にある『上位者』政治家・学者・教育者・宗教家・作家の多くが戦争に異を唱えず、本来の使命を放棄し、率先して戦争に協力したこ とを国民は見ていましたが、終戦後にこれら『上位者』が反省しなかったことが、不信感を決定的にしたものと考えられます。

 

 神国不滅を信じた日本人にとって、拠るべき国家の崩壊で茫然自失状態になった処へ、連合軍進駐とGHQ統治が行われ、神と崇めた天皇が『鬼畜米英』代表として乗り込んできたJHQ最高司令官マッカーサーと並んだ写真を見た時に、国民は大きな衝撃を受けました。

 

〔戦後処理で失ったもの〕

 満州や朝鮮等からの引揚では、情報をつかんだ軍関係者と家族は『自制心』をかなぐり捨て、民間人を放置して我先に帰国しており、民を守る筈の軍や警察の裏切りが人心に深く刻まれました。

 

 遅れて帰国を目指した民間人は、中国人や朝鮮人の復讐やソ連兵の暴虐に遭い、家族の死や病人・子どもを捨てるという悲惨な逃避行を経てやっとの思いで故国に辿りつきましたが、今度は生活の労苦に加えて「引揚者」への差別やいじめを受けたと言われます。

 

 せめて、民間人に状況を伝えるのが『上位者』(この場合軍関係者や警察)の最低限の務めですが「彼らを残した方が自分たちの助かる可能性が高くなる」という卑怯な気持が生じたのでしょう。

(このように軍が民間人を見捨てた犯罪的行為は沖縄でも多く、悲惨な結果を見ました。)

 

  終戦間際の1945年8月9日にソ連が日本に宣戦布告を行い、満州・朝鮮半島北部に侵攻し、終戦の翌8月16日に樺太・千島を占領して合計約110万人の 兵士と民間人をシベリア各地の収容所に送り、酷寒の下で過酷な強制労働を強いて、飢え・傷病・絶望によって死に追いやりました。

 

 国が送った社会党視察団は抑留者の実態を把握しましたが、党の思想宣伝の都合からソ連側の行為を伏せるために抑留者から託された手紙を握りつぶし、国会で抑留者は十分な待遇を受けていると虚偽報告をしています。このため抑留者の帰国が遅れたとされています。

 

 ここでも弱者の運命を左右する『上位者』による『犯罪的』言動が、対応次第で助かった筈の『犠牲者』をあたら増やしてしまった結果となっています。

 後で抑留者が帰国して事実が判明した時、本人や家族はどれだけ悔しい思いをしたでしょうか。

 

  抑留犠牲者は34万人を超えると言われ、国に求めた賠償の訴えは終戦から64年も経た2009年「国の遺棄行為は認められない」判決で棄却され、2010 年『シベリア特措法』(救済策)が参議院を通過しましたが、民を守るべき国家がいかに無責任であるかを思い知らされています。

 

 立場上の『上位者』が自制心を以て行動しないと、その卑怯な行為によって受けた傷はいつまでも消えにくく、風で燃え出す残り火のように、機会があれば何らかの形で復讐を遂げるケースや、上位者になった時に下位の者に行う事例が見られ、それが連鎖となって社会が荒みます。

 今、頻発している学校・団体・企業のイジメはそのような背景があるように思えてなりません。

 

  刑法37条(緊急避難)には「業務上特別の義務を負うものは立場上の務めを果たす」と定められ、機長や船長の責任を明確に示していますが、広義には政治 家・官僚・警察・教師・企業や団体の上司など、業務上その立場にある『上位者』の行動倫理が問われており、私たちも普段からの言動において自制を心掛ける 必要があると思います。

 

 日本の戦争犯罪を裁いたのが1948年の極東国際軍事裁判ですが、この裁判での戦争に至った経緯解明や責任追及は、国民が納得できるものであったのでしょうか。(続きます)

 

予告

〔政治家・官僚の犯罪・不正で失ったもの〕

〔経済優先の社会で失ったもの〕

〔スポーツに期待するもの・失ったもの〕

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28.私の時代認識10

2010年04月29日

【産業革命と明治維新:近代化の本質】

 欧州では生活を豊かにするために工場制手工業(マニファクチャー)が発達し、域内での生活物資の生産は足りていましたが、1760年代にイギリスで起こった産業革命は、機械化による大量生産を促進させ、外国に工業製品と農産物を売ろうという機運を芽生えさせました。

 19世紀初頭には大量に速く遠くに運搬できる蒸気機関車・蒸気船が実用化されて交通、輸送力が増強され、アングロサクソンの英米を初めとする欧米の経済・軍事力を突出させ、植民地獲得競争に拍車を掛けました。

 

  ヨーロッパ各地で、工業製品が農業技術の改革を促して農産物の生産競争をもたらし、中規模以下の小作農民は農村から追いやられて都市として形成された工業 地帯に流入して賃金労働者となり、軍隊への兵員補給を担い、同時に都会の消費者として市場を形成し、生産と経済の機構に組込まれて国力増強に大きな役割を 果たしました。

 

 1853年黒船来航から僅か15年で明治維新となり、長州や薩摩出身の政治家や官僚が、教育に力 を入れ、江戸時代の徒弟制度を土台にして繊維等の輸出を奨励し、短期間で国策会社による製鉄や造船等の重工業振興を図り、近代化という国力・軍事力増強 (=戦争準備)に取組んだのです。

 

 ヨーロッパと比較すると約100年遅れのスタートであり、その遅れを短期間でどれだけ追い付けるかという『植民地にされない唯一の道』を驚異的なスピードで突っ走り、ヨーロッパと同じ過程(小作農民の都市への流入と工業化)で『近代化』を成し遂げた訳です。

 

 黒船来航からの250年間の日本は、日露戦争で勝利した後に富を求めて大陸に進出し、第二次大戦で敗北しますが、戦後は短期間で復興を遂げ、今度は技術 とコストという武器で『経済・輸出戦争』に勝利して世界2位の経済大国になりました。 しかし、経済(=カネ)優先は、その裏で国民が多くの歪を抱え込んでしまい、世界的な動揺と混乱の中で不安に怯えています。

 

 日本人同士は『比較社会』で金銭とステータスを競ってきましたが『幸福』になれたでしょうか。 今、遠回りした中国が日本より100年遅れて、日本の10倍のすさまじいエネルギーで改革開放という近代化への道を走っていますが、若者の中には個々人の 生きがいが見出せない現状に疑問を訴える階層が現れており、歴史が繰り返されていることが分かります。

 

【産業革命と温暖化】

  地球温暖化は産業革命以後の工業化が招いたもので、最近の100年間で、それまでの人類が排出した量を上回る二酸化炭素を排出し、産業革命以前の1750 年の大気中のCO2濃度280ppm(南極の氷で測定)に対して380ppmと36%増え、地球の平均気温が0.74度C高くなっています。

 

 温室効果ガスのCO2換算排出量は、1990年代の10年平均では推定240億トン/年でしたが、2005・2006年は270億トン/年を超え、さらに増えています。

 CO2等の温室効果ガスは、一定量までは排出分が陸地(土壌・植物)と海洋(水・植物プランクトン・海藻)がほぼ半分ずつ吸収して空気中の濃度が安定していました。

 

  しかし、近年では自然界の許容吸収量(推定で約200億トン/年)を超えた分が空気中に滞留して温暖化が進み、多くの希少種が絶滅する状況が現れている中 で、中国など東アジア地域の急激な工業化に加え、『低開発国・地域』と言われた所も後に続き、温暖化に拍車をかけています。

 

  今、これから2030~40年までの対応によって『地球の運命が決まる』と言われており、早急な対策は人類にとって核廃絶に劣らない重大な課題と言えま す。 この点で民社党が打ち出した1990年比25%削減は先進国(EU≒20~40%)では外国荒唐無稽なものではありません。

 しかし、実現には40年前の1970年のCO2排出量を目指すもので、容易でないのも事実です。

 人類最大のテーマに対して、一部政治家や財界人が、中国など東アジア諸国等との国際競争のハンディや国民の負担増等の見解を述べていますが、このような時こそマイナス面を含めて議論を広め、最大限の技術革新を進め、国民の十分な理解の下で取組むべきだと思います。

 

【日本の進路】

 2010年に日本が中国にGDP2位の座を明け渡す事態を騒ぐ人がいますが、遅すぎたものが漸く現れてきただけであり、むしろ、これまでの日本(人)の善戦を誇ってよいと思います。

 そう思わなければ戦時に日本の礎となって散った人々や身を粉にして高度成長を支えた先達に申し訳ないというものであり、大切なのはこれからの日本の進路、日本人の生き方だと思います。

 

 これから暫く東アジアの時代が続き、出番が遅れたロシア・カナダ・オーストラリア・インド・ブラジル等が広大な土地と資源で存在を示し、その次にアフリカ諸国が台頭してくると見られます。

 そのような状況で、言わば『先進国』がコストの低い後発国と工業製品の輸出競争をすることが地球的・歴史的な本質かどうか、という視点で進路を選択することが求められる筈です。

 

 日本が歩んだように、後発国は先進国の模倣によって短期間で技術を究め、低コストで輸出拡大を図り(どの国も輸出利益で富を築きたい)、それが順に繰り返されるのは目に見えています。

 

  これからは『工業製品は後発国が作る』時代になり、文化・科学・国際関係や地域において、調和のとれた成熟と節度が求められると見るべきで、日本が確たる 進路を選択でき、国民が幸福に生きられるか否かは、そのことに日本人が気づくか、どうかに懸っていると思います。(続きます)

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27.私の時代認識9

2010年04月13日

【明治維新の幕開け】

 下関は、日本の近代化を進めた維新の幕開け舞台となった土地です。

 維新の思想的な源となり、久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山形有朋などの志士を目覚めさせた吉田松陰は、日本史では希有な革命家だったと云えると思います。

 

  萩で生まれ、長州藩の兵学者である養父から山鹿流を習い、叔父が開いていた『松下村塾』で、東洋の盟主清国がアヘン戦争後に欧米の武力による植民地政策で 蹂躙(じゅうりん)されていることを知り、西洋兵学を学ぶ目的で九州を経て江戸に出て1853年ペリーの黒船に出会います。

 

 翌年のペリー再来航時にアメリカへの密航を企てて失敗し、伝馬町の牢から萩の野山獄に送られ、出獄を許されて松下村塾を引き継いで藩の下級武士であった久坂玄瑞や高杉晋作などに世界情勢を教え、それらの弟子が志士として長州藩を牽引して日本近代化の道を開きます。

 

  松陰の革命家としての力は、①「至誠而不動者未之有也(至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり)」②「死して不朽の見込あらば何時でも死ぬべし、生 きて大業の見込あらば何時でも生くべし」等々の歯切れが良いアジ的『教え(語録)』にあり、それが志士たちを奮い立たせます。

 

 高杉晋作は1839年に生まれ、松下村塾で学び、1862年(23歳)に幕府使節の一員として上海に渡航し、清国が欧米の領土租借に名を借りた植民地化された現実を知り、帰国してから江戸で英国公使館焼き討ちなどの攘夷運動に加わりますが、藩命で萩に呼び戻されます。

 

  1863年長州藩は関門海峡で『夷敵』外国船を砲撃しますが、英仏米蘭連合艦隊の圧倒的戦力に敗北し、弱冠24歳の晋作が和議交渉に抜擢され、『彦島』租 借申入れを頑として拒否します。(晋作らは欧米列強の力を見せつけられて、早い段階で開国の必然を悟ったものと推測されます。)

 

  揺れ動いた長州藩は、幕府恭順勢力(俗論派)が盛り返して、倒幕派家老などを謹慎・蟄居させ、数千の主力軍を各地に送って藩内を抑えにかかった時に、晋作 が伊藤俊輔らと下関市長府の功山寺で挙兵し、力士隊など僅か84名を率いてゲリラ戦法で形勢逆転させ、藩の実権を奪還します。

 

  晋作たちの行動に、松陰の教え(語録)が強い支えになったことは想像に難くなく、武士の覚悟を説いた言葉①②には決起を促す力があり、晋作は功山寺に匿っ ていた三条実美ら公家五卿に対して『これよりは長州男児の腕前お目にかけ申すべく』と決起の挨拶をした場面が感動的です。

 

 この決起は、藩内各地で「藩主に弓を引く」ことに躊躇して様子見をしていた諸隊の蜂起を促し、山縣狂介(有朋)の奇兵隊も立ち上がって正規軍に攻撃を加え「藩内クーデター」を成功させます。

 

【転換期に求められる生き方】

 晋作などの『正義派』は藩の権力を握ると、倒幕=「国のクーデター」に突き進み、龍馬らの斡旋による薩長同盟と、宮廷工作で錦の御旗を引き寄せて『官軍』を名乗り、幕府を追い落とします。

 ペリー来航から15年後、私たちの4代前の曾々祖父母の時代で、僅か140年前のことです。

 

 私は、多くの長州の人と知り合いました。 カミさんは世が世なら回船問屋のお嬢様です。

 この30年に、北海道から鹿児島まで20以上の都道府県で、遠洋漁船の出迎えや積込みを行い、番屋に泊まり込んで漁場作りを主導し、各地の漁師の仕事の流儀と力量をつぶさに見てきました。

 

 現代の下関では『わしゃのー(俺はナア)』が口癖の自意識過剰や『自分さえよければ症候群』が目につき、この地の先達が本当に維新を支えたのか、疑問を感じることが少なくありません。

 萩ではカミさんの従兄など気骨のある人に時々出会います。 幕府の関ヶ原以降の厳しい外様政策と、山陰の一隅で生活に耐えた時間が、鋭い洞察力や忍耐強い性格を育てたものと思われます。

 

  長州藩は、北前船集結地の下関や三田尻(防府市)から産業革命以後の西洋文化の情報がいち早く入り、新しい時代のウネリが起こり、その波が、『革命家』松 陰や弟子の晋作らの登場を促し、その後に富国強兵と大陸進出を進めた伊藤博文らの『政治家』や『能吏』を送り込んだのです。

 

 一方の「薩摩隼人」は勇猛で一目置かれた存在で、薩摩藩は東シナ海ルートや台湾・琉球国からの物品と武器で力をつけ、琉球侵攻後に行われた『外国統治』は征韓論の下地となりました。

 大久保利通らの反対で下野し、『無私』を貫いた西郷は敬愛される人物で、利通と対照的です。

 

 NHK「龍馬伝」は『いごっそう』の龍馬を捨て身で支える平井加尾(広末涼子)等の土佐の女性の描写が秀逸で、維新などの歴史でも(現代でも)本当の主役は女性だという見方ができます。

  土佐の人は明るく、大らかさと緻密さを備えた人が多く、情熱を持ち続け、粘り強く、己を抑え、人に信頼されます。 その典型である坂本龍馬や中岡新太郎によって結ばれた薩長同盟が時代の歯車を大きく回しますが、新政府では権力にしがみつかない潔い生き方が多かったよう です。

 

 私が尊敬する室戸の堀内さんは、緻密さと豪胆さにおいて日本一の定置網漁師(漁労長)です。 遠洋漁業では『牙をむく南緯50度』の過酷なミナミマグロ漁場で「室戸船(ぶね)の真似はできない」と言われる激しい長期操業に徹しますが、帰港した時や 普段の漁師は全く穏やかです。

 そこに共通するのは、厳しい試練を乗り越えてきた強い自信に裏打ちされた謙虚さです。

 

 日本はこれから、経済と効率優先で得た便利すぎる生活や、見えない不善を働き権利のみ主張する『自分さえよければ症候群』や『比較社会』から脱却し、本 質をおさえ、確かな生きがいを求めることが、個人の生き方としても、国のあり方としても問われるものと思います(続きます)。

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26.私の時代認識8

2010年03月31日

【桜と死と】

 ヒトが寸暇を惜しんで働き、飽くなき利を求めている地球上で、木々は、ヒトよりも遥かに長い時間を悠々と生き、芽を伸ばし開花させ、各々の場で各々の生き方をしています。

 

 今年も桜が咲きました。 桜は門出に似合う花です。

 子どもたちが夢を抱いて進学し、社会に巣立って行ったのがこの季節です。

 

 私はリストラで退職して、子どもをこの地から巣立ちさせることを目標に起業し、出番を求めて漁場を巡り、桜前線とともに九州から四国、山陰、東海、関 東、北陸、三陸へと北上し、先々で早朝の定置網の操業に乗せてもらい、若い頃に遠洋サケマス漁船を追って幾度も渡った北海道まで脚を伸ばし、冷たい5月の 風の中で五稜郭の桜を眺めたことを思い出します。

 

 毎年3月は決算を迎えて、業績はどうか、資金は大丈夫か、手形が落ちる(決済される)か、という心配が頭から離れず、手形が紙切れになった夢で冷や汗が噴き出したことも一度ならずあります。 中小・零細の経営者の多くは、同じ様な思いで期末の決算期を迎えます。

 

 3月は自殺の多い月で、他の月より2割程度増え、多い年で3000人=1日100人が命を絶ちます。 この中には、自らの死による保険金で銀行から断られた資金を用意したり、会社の整理を果たした企業経営者が少なからず含まれている筈です。

 私も、負債を整理できる額の保険を自らに付保していた時期がありますが、クルマの自損事故という形で、文字通り身を以て責任を果たしたと思われる経営者もいました。

 自殺は、50代、60又は70代、40代、30代、20代の順に多いのですが、最近は30代が増え、1980年代からイジメによる10代の自殺が報道されるようになり、それが年々増えているように感じられ、日本社会の歪が表れているように思われます。

 

 今のイジメは、友だち関係が突然崩れて加害者と被害者に分かれるので立場が流動的で、それだけに被害者が苦しみ、親にも先生にも分かりにくい状況です。

 自殺の原因がイジメと想定されても、学校はイジメの存在を否定し、加害者や周囲はその実情を分かっていますが「自分さえよければ症候群」の親と同様、自ら言い出すことはありません。

 

 (折角の桜の季節に暗い話題ばかりでは桜に申し訳ないので) 簡単なクイズを一つ。

 花には、チューリップのように上を向くのと、百合のように横を向くのと、桜のように下を向くのとがあります。 では、桜の花はどうして下を向くのでしょうか。

 最も納得でき、感動した答えは:「見上げた時に美しく見えて、喜ばれるように、」でした。

 

【豊かさと反比例する心】

 「貴様と俺とは同期の桜・・」という歌には命を捨てる潔さがあり、私も若い時には会社の宴会などで同期入社の友と肩を組んで大声で唄ったことがありますが、今は、戦時に潔さを強調して戦意高揚を煽った罪な歌だと思います。 (無論桜に罪がある訳はありませんが)

 

 「ホタル」で有名になった鹿児島県知覧町には、特攻で散った人の遺書が残されており、愛する人や家族の無事と、戦争のない平和な国になるように強く願った文字が、胸に迫ります。

 日本は、若者が死を以て守ろうとした国としてふさわしいか、と問われると自信がなく、その崇高な志にそぐわない国に思え、次代の人たちに自信を以て引き継げないという負い目があります。

 

 今、『目指した以上の物質的豊かさと便利さ』を得ましたが、その結果、温暖化で地球に異変を招き、若い人が働ける場がなく、高齢者が生活に窮する状況が至る所で見られます。

 自己においては、迷いなく生きる信念を自身に植え付けることができなかった後悔があり、自らがそうであるように『自分さえよければ症候群』に溢れた現状を思い知らされています。

 

 私は現代社会の、①物質的豊かさと便利さ、②自分さえよければ症候群、③イジメ、④自殺、⑤草食性男子、という現象は関係が深く、これらは不可分であると考えています。

 

 窮乏時代から脱却すべく、ひたすら働き、人を蹴落として生き残ることを迷わず選び、学歴こそ必要と考えて家計を切り詰め、高い学費を厭わずに子どもを受験戦争に追いやりました。

 我が子が競争に勝って「よい学校」に進み、「教育」よりも、学費に見合う「よい就職先」=高い収入を望み、大学は就職の手段、高校は大学の手段となってしまい、「生きる本質」を学ぶべき学校本来の目的がないがしろにされてしまいました。

 

 「モンスターペアレンツ」は、教育ですら「契約上の損得」という概念で捉えて権利を求めようとするために、学校に行かせている我が子を優先しない学校や教師は、契約上の義務を果たさない相手としてみなし、教師を精神疾患になるまで追い詰めています。

 

 今の子どもは、物質的豊かさと便利さの中で、生きる訓練や我慢をせずに育つため、不遇や苦しさに弱く、イジメによって自殺に追い込まれやすい弱さを持ってしまうようです。

 

 少し前までは、風呂に入るにしても、風呂桶を洗い、水を汲み上げ、山で薪を集め、手順に従って薪をくべて湯を沸かし、自分の番になってようやく入ること ができる、という時代で、責任を以て仕事をして力がつき、工夫をこらして知恵がつき、親を優先して我慢が身につきました。

 

【クルマ社会の罪】

 「自分さえよければ症候群」はクルマ社会とともに強まり、広がりました。

 『人は右、クルマは左』と決められた社会は契約社会で、最終的には裁判でシロクロの決着をつけるという風潮が広がり、日本人が持っていた謙虚や互譲という大切なものを失いました。

 

 私は、このような物が溢れた時代を過ごすことになるとは思いもせず、まして、自分がクルマを所有し、運転することは予想もしていませんでした。

 就職した年末に帰省して白黒TVを買い、順次、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」を揃えて親の生活が人並みになったと思いましたが、世の中の便利さ追求は止むことがありませんでした。

 

 1967年に会社の先輩が軽自動車を買いました。個人でクルマを持つ時代に入ったのです。

 そのことにも驚きましたが、普段温厚な先輩から、事故などでトラブルが発生した時に「たとえ自分が悪いと思っても絶対に謝ってはいけないのだ」と教えられたことが強烈でした。

 心の持ち方において、日本人の生き方を変える転換期に差し掛かっていたのですが、それがさらに進んだのは、85年プラザ合意以降のバブル経済と推測されます。

 

 息子は1996年に、同乗した友人運転の軽トラが起こした事故で長期入院しました。

 症状が落ち着いた頃、軽トラ所有者が掛けていた任意保険の損保会社の交通事故賠償主任という人が突然訪ねて来ました、息子が未成年のため補償について親と話合いたいとのことです。

 

 その損保会社は非常に業績がよく、大学生就職人気度がトップクラスの「超優良企業」です。

  その人は多忙なのでと、すぐ本題に入りました。 その損保会社が払ったという治療費が記載された書類を示し「会社としては最大限補償したのでこれ以上できないが、特別に10万円を慰謝料としてお支払いす るように用意してきた。これで承知頂きサインを頂きたい」と言いました。

 

 「今日でなければいけないのか」と聞くと、「この慰謝料は規定になく、会社が誠意で出すもので、今日サインした場合に限られる」との説明でした。 当方は何の準備もなく迷いましたが、「休業補償は出ないのですか」と聞いた処、「これは失礼しました」と言い、その書類を引っ込め、休業補償が記載された 紙を出して、これは特例的な補償額であると説明し、今日サインした場合は慰謝料も渡せるので、この条件で調印した方が得だと言いました。

 

 信用できないものを感じたのでその日は帰ってもらい、知りあいの弁護士に相談し、次回そのことを伝えた処一方的に数字を上乗せし、その内担当が代わり、 何回か後に「これ以上は裁判でも出ません」と言って「最終案」という補償内容が提示されたので、息子と相談してサインしました。

 休業補償、慰謝料等が相当上乗せされましたが、一連の経過を振り返ると、超優良企業とは、顧客をダマして保険金支払いを抑えて、業績を上げてきただけではないかと思えました(続きます)

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25.私の時代認識7

2010年03月14日

【日米核密約】

  今、日本で最大の問題は、政府が50年間も国民をダマシ続けてきた核持ち込み密約です。

  民主主義国家であった筈の日本において、歴代の首相や外務事務次官などによって密約が引き継がれ、つい最近まで外務事務次官が存在を否定してきたもので、ギリギリまで、民主主義の根本のところで国民に背いてきたという事実が、明らかになりました。

 

  この過程では真相究明しようとした毎日新聞の西山記者を裁判で退け、社会から葬っています。

  しかも重要な文書の保管さえ不十分で、その管理責任すら不明であるという問題も伴っており、

  二重・三重に真実が隠ぺいされてきたもので、大変おそろしい実態が分かってきた訳です。

 

  日本側で最も深く関わったとされる佐藤栄作氏は、その後ノーベル平和賞を受けましたが、彼は、国民に対する面従腹背を恥じなかったのか、自身は正しく、国民は愚かな者の集団と思っていたのか、という率直な疑問が湧いてきます。

  既に米国では密約を示す文書が公開されていましたが、歴代の首相や事務次官は国会答弁などで、堂々と嘘をつき通してきた訳で、今、当時の政権を担当した首相一人ひとりの写真を見ると、「この顔でよく白々しく言えたものだ」と信じられない思いがします。

 

  これを主導したのは長く政権の座にあった自民党と外務省であり、その責任を徹底的に追求して、どこに問題があったかを検証して、同じ過ちをさせないようにすることが重要です。

  イギリスでは米国のイラク攻撃に加担したブレア前首相が独立調査委員会の証人喚問で調査を受けていますが、日本も大量破壊兵器の存在を根拠とした自衛隊派遣の責任を当然問うべきで、国を動かす政府の政策を曖昧に終わらせないことが大切だと思います。

 

  最近、拉致事件解決が前進しない現状や北朝鮮の勝手な振る舞いに対して、若い政治家の中に日本の「核所有」を主張するような勢力が芽生えていることに、大きな危惧を感じます。

  ヒトは威勢のいい論調につい押されてしまう傾向があり、苦労知らずの2世・3世議員が踏み外しそうな民主主義のルールを、この辺でしっかり守ることを再確認する必要があると思います。

 

【主流と本質の相違】

  核密約を明らかにしたのは民主党で、岡田外相などが地道に取組んだ結果だとは評価できますが、それを可能にしたのは政権交代で、選択したのは国民であることを、忘れないでもらいたいと思います。

  今、民主党の政策は明らかに「ブレている」と感じられますが、その原因は「主流」と「本質」の見分けができていない点にあると思われます。

  「主流」とは大勢のことで、一見安定しているようですが流動的で、僅かなことで簡単に変化する危ない特性を持っています。

 

  つい最近でも、小泉氏が叫んだ「自民党をぶっ壊す」や「官から民へ」等の『アジ的言動』に国民の多くが酔い、一見本質を突いているかの政策に乗せられて、それが「主流」になりました。

  海外で献身的な支援を行っていた活動家が武力グループに拘束された時には「自己責任」を国民がこぞって謳い、心ある活動家を批判したことがありました。

 

  「主流」には居心地のよさがあり、政治家からは選挙を大きく左右する勢力として、喉から手が出るほどの魅力を感じ、そこに迎合したくなるのは人情だと思いますが、本来目指すべき民主主義や政治とは必ずしも一致しません。

  今、中国が急激な経済発展を遂げつつありますが、その陰には、制度の許認可や予算配分権を持つ官僚の汚職が目に余り、政府は犯罪者に見せしめ的な刑罰を 行って綱紀粛正の姿勢をとっていますが、一党独裁を通すための人権活動家へのなり振り構わぬ弾圧を見ると、「本質」には目を逸らして、経済至上に遮二無二 突っ走って「主流」を誘導する政策がうかがわれ、民心を二の次にしている未熟さを感じます。

 

  今、日本人が不安なのは、終身雇用を基本とした「一億総中流」だった時代が崩壊して、資本主義の弱肉強食制度が一層進んだ「格差社会」に放り出され、一歩レールを踏み外すと一生「主流」に戻れないという不安定な状態に置かれているからだと思います。

 

  格差社会においては「比較」の現実が一層身にしみるようですが、私は最近、ヒトは格差社会にあっても幸せを感じて生きていけるのではないかと、思えるようになりました。

  それには、自分を他人と比較せずに「本質」を求めて生きていくことではないかと、ほぼ確信できるようになったためです。

 

【生きているという不思議】

  私は、先日誕生日を迎えて67才になりました。

  よくここまで生きることができたという思いはありましたが、その感慨が強くこみ上げてきたのは、先日の誕生日でした。

 

  新聞に、65年前の、1945年3月10日に東京下町が米軍による大空襲で一夜で焦土と化し、10万人が亡くなったことが報じられていました。

  米軍は、空襲の「効果が上がる」夜を選び、周囲に火の玉が上がるようにして逃げ道を塞ぎ、そこに30万発の焼夷弾を隙間なく落して火の海を作り、戦争に赴いた軍人以外の、残された無辜の民、女性・子ども・年寄り・病人を殺戮しました。

  「熱地獄」の中を逃げまどう人々は、争って隅田川に飛び込みましたが、そこは既に、焼け焦げた死体が折り重なるようにして、海に向かってゆっくり流れて行く「水地獄」だったと言われます。

  米軍はその「成果」を「戦略爆撃」と位置づけて、これ以後、軍事施設中心から、都市を丸ごと破壊して住民をできるだけ多く殺す作戦に切り換え、12日に名 古屋、13日大阪、そして神戸と広げて、合計30万人の「成果」を上げ、さらに、その仕上げに広島・長崎に原爆を投下しました。

 

  東京大空襲の惨状が、昭和天皇の目に触れないようにと、急いで死体などが片付けられたために、戦争終結の判断が遅れたという見方があり、そのような「処理」は国民の痛みや悼みを分かろうとしない軍部と、戦争に協力する民間勢力によってなされた筈です。

  実は日本も、日中戦争で中国の重慶で同様の戦略爆撃を行って1万人以上の犠牲者を出したとされており、日本は被害者であると同時に加害者でもあり、複雑な思いを禁じえません。

 

  私たち母子が助かったのは、不穏な空気を感じた母の父親が、埼玉県鳩山村(現鳩山町)から牛に荷車を引かせて片道100kmの道を往復3昼夜かけて、ごっ た返す東京に入り、娘と二人の孫を乗せて東京脱出を図ってくれたお陰で、あの大空襲を間一髪で免れたという幸運によります。

 

  私は最近まで、定置網や大規模生簀などの設置作業を主導して、海上の仕事に人一倍多く従事し、若い時は年に100回近く潜水を繰り返し、潜水病や事故と隣 合わせの場所に身を置き、軽い事故でも腕や肢を失う土嚢投入作業の指揮を執っていましたので、何度か危険な目に遭いました。

  それでも、私も、一緒に仕事をしてもらった各漁場の乗組員も、指1本失うことなく無事を貫くことができたのは、自分の力で事故を防いできた結果であると自負していました。

 

  しかし、東京大空襲の時は満2才の一日前でしたから、祖父が迎えにこないで、あのまま東京に残っていたら間違いなく死んでいた訳で、生き延びたのは自分の力でなかったのは歴然です。

 

  30才の時、定置網の中を潜水中にボンベの空気がなくなったので浮上しようと海面を見上げ、潮流で吹かれた網が海面近くを覆っているのを見て強い恐怖感に 襲われ、網を押し上げて早く海面上に顔を出したいと思って浮上しかけました。 海面の下方に広がっている網が人の力では動かないのを誰よりも知っている私が、最も危険な状態になる「潜水パニック」に陥っていたのです。

 

  その時「待て、あわてるな」という声で我に返り、気持を落ちつけ、腕の磁石で検討をつけた「網口」方向に進んだところ、脱出できました。もう強く吸っても空気が出ないギリギリの状態でした。

(慌てていた浮上を止め、冷静さを取り戻させた「声」は何だったのだろう。と今でも思います)

 

  もし、2才の時、又は30才で死んでいれば、それから先の私の人生はなく、現在社会の一員である3人の子どもと可愛い2人の孫はこの世に存在せず、子や孫が関わっている社会や時間のその部分は存在しないのであり、まったく別の世界になっている訳です。

 

  自分が生きていられるのは、顔も名前も知らない先祖がいて、親を生んで育ててくれた祖父母がいて、生んでくれた親がいて、兄弟がいて、教えてくれた学校が あって先生がいて、友人がいて、仕事をさせてくれた会社があって、多くの人間関係があって、今があるということだと思います。

  そこに思いが至るようになって、生きていることに喜びを見出すことができるようになりました。

 

【起業は危業】

  51才で30年勤めた会社のリストラに遭い、仕事と家庭の両立を目指して退職を選び、起業しましたが、それまで社会の本当の苦労や怖さを知らなかった「ヘナチョコサラリーマン」の起業は実に危なっかしいものでした。

  「起業」を奨める本や、セミナーが目につきますが、無責任なものが殆どであり、起業5年後に残っている企業は5%に過ぎないと言われており、95%は倒産や解散あるいは夜逃げなど、悲惨な経過を辿っているのが実情で、「起業は危業」というのが私の実感です。

 

  もし、友人でも後輩でも息子でも、起業したいと相談を受けたら無条件に反対します。

 

  私が曲がりなりにも15年以上会社を継続できたのは「健康と支え」に恵まれたことに尽き、目先の利益より「心の持ち方」に軸足を置いて、自分ができる役割を果たそうとしたことが、辛うじて会社を続けることにつながったものと思います。

 

  「健康と支え」において、自身の健康は無論ですが、家族の健康が守られたことが何よりの支えとなり、「心の持ち方」で幸せを感じることができるようになり、そのことが分かってくると、自分の子どもや他人の悩みが少しずつ分かるようになりました。

 

  起業直後に仕事が進まず、気持が萎えそうになった時、全くの偶然に、それまで存在すら気に留めなかったキリスト教会の門をたたいたことによって、一員に加 えてもらい、いつも迎えてくれる礼拝堂の花とパイプオルガンに安らぎを覚え、牧師の説教とお茶の時間の教会員との語らいで気持が楽になり、いくつかの難関 を越えることができました。

 

  まだ「信仰」などと言えるものではありませんが、最後には海が見える教会の墓地に入れてもらえる、と思えるだけで安らぎがあり、日々生きる力が湧いてきます。

 

  聖書に「門をたたきなさい。そうすれば開かれる」という言葉があり、困難な時こそ気持を明るく前向きに保ち、いつでも「門をたたきなさい」と教えています。(続きます)

カテゴリ:私の時代認識

24.私の時代認識6

2010年02月22日

【ヨーロッパの成熟】

 高校の時に見た西部劇の最高傑作と言われた「駅馬車」には駅馬車を疾駆する馬で追うインディアン(先住民)が白人に撃たれるシーンや、駅馬車がピンチに なると、騎兵隊が助けに来てインディアンを蹴散らすシーンがありましたが、愚かなことに私は、それを喜んで見ていました。

 

 今は、先住民を迫害した白人が自らを正義として描いた映画が制作されたことが不思議で、米国の白人の思い上がりを感じます。この映画は社会的に問題ありとして現在上映が禁止されています。

 

 ほぼ同時期のイタリア映画には「道(ジェルソミーナ)」や「鉄道員」などの珠玉の作品があり、何度見ても新鮮で、50年以上前に公開されたにも拘わらず現代でも通用する映画で、人生の価値を問い、ヒトの生き方を考えさせる、まさに秀品です。

 

 粗野な大道芸人ザンバノに個性派アンソニークイン、知的障害のある童女のようなジェルソミーナにジェリアッタ・マシーナという、これ以上の適役はないと いうほどの適役で、ジェルソミーナのひたむきな心と、年老いたザンバノが味わう孤独と初めて気づいた愛・・・が高校生の私に理解できたのかどうか疑問です が、涙があふれて困ったことが思い出されます。

 

 1960年の仏映画「太陽がいっぱい」は、鮮烈な太陽の下での貧乏な若者(アランドロン)の犯罪が淡々と描かれ、カネとヨットと彼女を略奪して勝ち誇っ た若者の表情と、事件を追う刑事の前に上架するヨットにロープが絡んで上がってくる死体のラストシーンの対比が衝撃的でした。

 

 52年「禁じられた遊び」は同じルネ・クレマン監督・脚本で、戦時中の南フランスの田園地帯、独軍の空襲で両親と犬を殺された幼い少女ポーレットと友達 になったミシェル少年が、墓を作って犬の死骸を埋め、次第に様々な動物や昆虫の墓を作り、そこに立てる十字架を盗みます。

 

 二人で懸命に穴を掘り、モグラの死骸を犬と一緒に埋め、ミシェルが教会の司祭から習った「・・・彼を天国に迎えたまえ」と祈りを捧げ、ポーレットがミ シェルを真似て十字を切りながら土をかけるシーン、最後に孤児院に送られる途中で「ミシェル」の名を叫んで雑踏に走るポーレットの姿、あのギターの名曲 「禁じられた遊び」が哀しく、切なく胸に迫りました。

 

 大人は墓を作る子どもの遊びを禁じますが、兵士ばかりでなく無辜の市民たちが虫けらのように殺されている大人たちの戦争こそ「禁じられた遊び」ではないのか、と訴えています。

 

 このような優れた映画を半世紀も前に送りだしたヨーロッパは、クラシックや民謡からアレンジした素晴らしい映画音楽も残しており、文化の奥行きと成熟が感じられ、混迷を深める今にあって、時代に流されない生き方を多くの人が真剣に模索しているように感じられます。

 

 これまで世界の正義を標榜してきた米国に追従し、ひたすら富を求めてきた経済至上主義の日本人が、これからの生き方として学ぶべきものが多いように思います。

 

【日本人の心の変化】

 冬季オリンピックの女子モーグルで、上村愛子選手が4位に終わりました。 期待が大きく、その重圧は大変なものだったと想像され、本当に残念でしたが、取材陣の中にメダルを逃がしたための情報価値下落をあからさまに表情に出した 記者が多かったことが、もっと残念でした。

 

 彼女が泣き顔から笑顔に変わったのは、実に4回目の大会を通して見守り続けた母、圭子さんが選手通路に駆けつけたのを見つけた瞬間だったと報道されていますが、そのような機微を捉えて読む人の心を和ませた人間味のある記者がいたことが嬉しく思いました。

 

 母「満足しています。私にとっては1番ですから」。娘「お母さんは思い切ってやったことを分かってくれたと思う」。 この短い言葉に日本人が失いかけている大切な心が凝縮されているように思え、いい母親だなあ、上村選手は幸せ者だなあと思います。

 

 2月14日朝日新聞の教育欄「あめはれくもり」に『お兄ちゃんを見習って一流大学に行けるように頑張れ』と言われて学校を休むようになった生徒がいるこ と、周囲の接し方で『自分は大事にされている』と子どもが思えるようにすることが大切である、と高校の先生が説いています。

 

 この日(バレンタインデー)の朝日新聞には生き方を示してくれた「贈り物」が多く、「おやじのせなか」の内田勘太郎さんの父親は、戦後シベリア抑留から生還して、鉄工技術を習得した後に鉄工所を興し、経営した鉄工所が傾いても気にせずに悠々と生きた人だったようです。

 

 生活欄「ひととき」の『夢の中の母』には、明るく、楽しく、常に前向きに生き、病を嘆かずに、これが自分の人生、と言い切った母親が紹介されています。

 

 21日の「おやじのせなか」には俳優小日向文世さんの父親が紹介されていますが『人間は平凡が一番なんだよ』という素朴な生き方に共感を覚えました。

 

 私は、これらの父親・母親に学ぶことが多く、足元にも及びません。

 

 どうも1930年代以前に生まれて戦後の激動期を体験した先達は、本質的なブレない生き方、信念を持った生き方が身についたらしく、大まかに1940年 以後2000年生まれ位までが経済至上の「比較世代」で、いつも何かに追われているような生き方を余儀なくされたようです。

 

 日本もこれからは「比較」ではなく、本質的な生き方が模索されると思いますが、それには自己又は『神』あるいはSomething Greatに恥じない生き方が求められるでしょう。(続きます)

カテゴリ:私の時代認識

23.私の時代認識5

2010年02月02日

【比較社会の呪縛】
 音楽において「絶対音感」を持つ人は、伴奏や雑音に左右されずに正確に音程が表現できます。
思考において「比較」という習慣を止めて本質を究めれば、もっと楽な生き方ができる筈です。


 資本主義社会は競争(=比較)で成り立つ「比較社会」で、成績、学歴、容姿、収入、住宅、結婚相手、地位、健康、寿命・・・一生を通じて、他と比較して競い、勝とうとします。
比較対象によって自己の位置が揺れるので、不安や不満が生まれ不幸を感じるように思われます。

 

  日本人が具えていた「自制・謙虚・思いやり」や、「仁・義・礼・知・信」を尊ぶ心は、欧米コンプレックスと、資本主義による物的豊かさとともに薄れ、「比 較社会」が進むに従って「自分さえよければ」という思考や、相手を蹴落としてでも上に行こうとする生き方が選択されるようになりました。

 

  例えば、地震災害の復興初期では同じような境遇の被災者同士の気持ちが通い、相互に協力しますが、復興が進んで本来の生活に戻れる人が出てくると、そこに 比較心理が働き、戻れない人は戻れる人の幸いを心から喜べない心理が働き、良好な関係が損なわれることがよくあるようです。

 

  私は30年勤務した会社を94年のリストラで退職して起業したものの、先が見えない不安と焦りが募り、落ち込んでいた時、95年1月の阪神淡路大震災が発 生し、その惨状をTVで見て、自分の方がまだ恵まれていると思い込むことによって、気力を振り絞った記憶があります。 

 

  そこから這い上がれたのは、ふとしたキッカケで、存在すら知らなかったキリスト教会に行き、牧師に話を聞いてもらい、その後に礼拝に通って、説教や教会員 との雑談に「比較社会」にはない心の安らぎを得ることができたことと、妻が他と比較をすることなく支えてくれた結果です。

 

 日本は信仰を持たない人が多い国ですが、生きる上で大切なブレない心は、信仰によって得られることがあり、不安を抱いている方はお寺でも教会でも気楽に訪ねてみることをお勧めします。
ご利益(ごりやく)追求ではなく、生きる本質を求めて通えば、何か得られると思います。

 

 2月1日の朝日新聞歌壇に次の一首がありました。

「我が身より重症の人を見る吾が目なんて卑しいなんて哀しい」

 

 病気の作者(女性)の、自分より重い患者を見て落ち込みそうな心をなだめて、それを恥じる、という心境が哀しくもありますが、「自制・謙虚・思いやり」が感じられ、人の心を打ちます。

 この歌から、日本にはヒトを豊かにする心と再生への余力がまだ残っていることを感じます。



【比較社会からの脱却】
 若者の4人に3人が「草食系男子」であると自認している現状は、競争と比較の社会から脱却して生き方を見直したいという強い現れで、時代の転換点になるような気がします。

 

 昨年末の紅白歌合戦で、場違いと思えたオバチャンの登場は「???・・・」と感じましたが、そのスーザン・ボイルさんが、讃美歌のような旋律の「夢破れて」を歌い始めるや、透き通った声と、ひたむきな歌い方が胸に迫りました。

 

 英国生まれで、独身で母親の介護と教会のボランティアを続け、3年前に母親が亡くなった時には既に45歳。 比較社会ではまさに「負け組」ですが、11月発売のアルバム「夢破れて」は人々に希望を与え、特に、国民が方向を見失っていた米国で大ヒットしました。

 

 英国は経済至上から社会民主的な社会への転換期にあると見られ、個々の生きがいを大切にする機運が盛り上がり、彼女のような生き方をする人が増え、それがあの歌となって、グローバル資本主義の行き詰まりで閉塞感に捉われていた米国民の心を揺さぶったのだと推測されます。

 

 彼女が歌う讃美歌からは、人生を急がず、他人と競わず、信仰とともに歩いてきたクリスチャンの一端が窺われます。   これからの彼女の人生においても比較社会に染まることなく、疲れた人々に安らぎを与え続けて欲しいと思います。



【米国社会の未成熟とEUの姿勢】
 オバマ大統領が力を入れている医療制度改革に反対する声が多く、賛否両論がぶつかっています。

 

  米国では医療費が国家財政を圧迫し、70年代前半にGDP比7%を超え、さらに増大が予測された77年、心臓病(死因1位)・ガン(2位)・肥満の要因と して肉の摂りすぎを指摘した5千ページに及ぶ、上院栄養問題特別委員会「マクガバンレポート」で食生活の改善を促しました。

 


 「マクガバンレポート」は、医療業界と食肉業界から猛反発を受け、国民の間に「好きなものを食べてどこが悪い」という「自由主義」的反感もあって政策が奏功せず、医療費負担はGDP比で80年10%、90年12%、2000年15%、09年18%と増大し続けました。

 

 マクガバンは飢餓や貧困問題に取組んだリベラル政治家で、72年大統領選挙で民主党候補として、ベトナムからの即時撤退を公約に掲げて、現職ニクソンと争いましたが大差で敗北しました。

 

 当時の米国民がベトナム派兵増強を支持した結果で、持論として展開していた栄養・健康政策が、それを嫌う業界勢力から反撃を喰ったことも影響したもので、今は二つとも歴史上の誤った選択であったとされ、マクガバンの本質的な事象の捉え方が正しかったと評価されています。

 

 「マクガバンレポート」にはP(タンパク質):F(脂肪):C(炭水化物)のバランス(PFCバランス)をとることが不可欠で、理想値は、熱量比で13:22:65前後と報告されています。

 

 米国のF(脂肪)熱量比は、1980年36%、2003年37%で理想比の1.6倍で、肥満度を示すBMI値の、25以上を肥満とする日本基準によると、米国成人男子肥満者は76%で4人に3人が該当しており、男女を問わず肥満が非常に多いのが目につきます。

 

  その結果、長年GDP首位にありながら(GDPと寿命は正相関)、寿命ランクは世界30位で先進国ではかなり低い水準で、肉などの飽食⇒治療費増大と寿命 低迷という構図から抜け出せずにいますが、米国の隣で地震に遭って壊滅的なハイチに救援が届かない状況を見ると、先進国の飽食と、途上国や低開発国の食糧 不足があらためて対比されます。

 

 米国の医療費は非常に高く(おおまかに日本の10倍)、典型的な資本主義の利益追求型青天井報酬方式で、特に保険扱いの治療費は法外な金額が計上されているようです。

 

  オバマが進めようとしている未加入者4600万人救済を目指した政策は、医療費をそのままにして進めると財政をさらに圧迫する懸念があり、低所得層に多い 未加入者の「自己責任」を問う声と、医療費を下げたくない業界圧力で進まず、エゴと政策がせめぎ合っている感があります。                                       


 米国は世界のリーダーとして「自由」を尊ぶ国として振舞っていますが、「自分さ えよければ」的行動で倫理や摂理から外れていく点で未熟であり、仏・独・日・サウジアラビアなどの「同盟国」が離反しつつあるのは、米国の「自由主義」に 違和感を覚えているためではないかと思います。  



 EUでは、先の大戦で敗北した独と伊が、英・仏とともに互恵的で大局的な姿勢を打ち出し、後から加入した東欧などに配慮した政策を進めて域内経済の底上げを図っている姿が見られ、これからの日本のあり方として学ぶべきことが多いと思います。(続きます)

カテゴリ:私の時代認識

22.私の時代認識4

2010年01月25日

【草食系男子】
 今の若者を「草食系男子」と表現することがありますが、言い得て妙、と思います。



 恋愛や金儲けに積極的でなく、覇気が感じられず、周囲に優しく、営業などの旺盛なエネルギーを要する職種は避けたがり、事務や作業は黙々とこなし、イン ターネットやケータイに熱中する傾向がある若い男性のことで、ある調査で「自分は草食系男子だと思う」と答えた若者は4人に3人という比率で、その多さに 驚くとともに、頷ける気もします。



 親からは、幼稚園や学校で競争に勝つことを期待され、勉強に励んだものの社会の現実を知り、真面目に働いても将来に大きな期待が持てそうになく、無意識に「無理せず、人に迷惑をかけず、最低限の義務は果たして静かに生きよう」と思っているのではないでしょうか。



 (財)日本生産性本部が企業の新入社員意識調査を毎年2回実施していますが、「食べていけるだけの収入で十分だと思うか」の設問に「そう思う」の回答が年々増加して、2009年秋にこれまでの最高で47%となって「そう思わない」の53%に肉薄しています。



 そのような若者を「情ケナイ」と言う人もいますが、私たちが形成した家庭や社会が彼らをそのように育てたのであり、彼らの生き方は現状に対する答えである、と受け止めるべきだと思います。
 このような状況は資本主義社会においては不都合であり、日本の先行きが案じられますが、その多さから見て、そのような生き方や意識がこれからの社会を形成することは間違いないでしょう。



【競争社会の結果】
 「勝ってくるぞと勇ましく」戦争に突入して敗戦を迎え、高度成長期の「企業戦士」は事業計画書に他社との競争に勝つための「戦略や戦術」を盛り込み、競 争相手に打ち勝つことが会社を発展させる条件と思い、外国との競争に勝つことが日本を豊かにすると信じこんでいました。



 一世を風靡した長嶋茂雄選手現役引退時の「わが巨人軍は永久に不滅です」には、一分野の一組織を絶対なものと見た思い入れがありました。 時代を共有し た団塊世代もひたすら忠実に働き、その後に登場した新入類も概ね競争社会に疑問を呈することなく「戦い」に臨んできました。



 今、日本を覆っている閉塞感は、安定した生活を目指し、営々と働き、家庭を守り、子どもを育てて、夢が持てる社会を次代に引き継げることを願ってきた国民が「一体なんのために頑張ってきたのだろう」という疑問を感じて戸惑っている現われだと思います。

 健康や生活に不安を抱えた人、孤独感に襲われている人はその思いが一層強いと推測されます。



【資本主義と欲望】
 中世から19世紀までは産業革命を進めたヨーロッパが世界をリードし、20世紀は米国が突出した時代でしたが、次には長い雌伏を経た中国を先頭にしたア ジアが隆盛すると見られますが、人々が幸せになれるかどうかは、米国や日本が辿った二の舞となるかどうかにかかっています。



 「許しと愛」を説く新約聖書を戴いているキリスト教徒が、十字軍遠征、大航海時代、植民地政策を通じて、戦争、強奪、奴隷使役、他民族迫害やせん滅を行い、つい最近ではナチスのホロコースト、米軍の原爆投下などの残虐な行為がありました。



 敬虔なキリスト教徒のコーカソイドにとって、宗教に背く行為は何によったのか不思議でした。
 「資本制の搾取」は許されると思ったか、彼らこそ唯一の正義であると思ったのか、あるいはモンゴロイドとネグロイドへの人種観や他宗教への偏見が作用していたかも知れません。

 ある株の会社の経営者の身内がインサイダー取引で逮捕されたことがありました。資本主義社会では楽をして儲ける一方で、懸命に働いているのに生活に苦し む人がおり、バブル景気では株や不動産で儲けた(と皮算用した)企業も銀行もバブルがはじけて致命的な損失を受けました。



 グローバル資本主義は、途上国の安い労働力で利潤を上げる仕組みを作り、消費を煽って景気を刺激しました。  資本主義は欲望を際限なく膨らませないと 持続できない仕組みなのか、ヒト本来の欲望からか、どう考えても無理があったプライムローン破綻で一気に不況に突入しましたが、EUでは農・林・漁業を地 道に育てて成熟した社会形成を進めたために大きな難を逃れています。



【本質から外れた結果】
 世の中には道理や摂理に反することが一時的に通用することや隆盛することはありますが、やがて廃れるものです。



 私が依拠した漁業分野では、1970年代まで、遠洋漁業が隆盛でしたが、200浬時代到来とともに締め出され、大手漁業会社が漁業から撤退して水産物輸入に力を入れ、遠洋漁業に漁具を供給していた漁網メーカーが倒産・解散・業種転換などで退場して行きました。



 日本は、沿岸漁業振興を図るための海の保全と資源培養推進が急務でしたが、対策が後手に回り、汚染・埋立て・護岸・採砂などの影響で、最盛期1200万 トンの漁業養殖生産量が僅か10年で半減してしまいました。  最近は温暖化の影響も見られ、日本の魚介類と漁業がピンチです。



 漁網メーカーで水産物商社でもあったA社は、底引漁法技術に優れ、海外(日本の会社が操業)を含む遠洋底引漁業にトロール網・ワイヤ・金具等を納入して業績を上げていましたが、80年以降に200浬の影響を受けて業績が悪化し、94年にリストラを行いました。



 トロール漁業は非常に効率のよい漁法ですが、チェーン・鉄板・鉄球がついた漁具を引き回すので海底を傷めつける致命的な問題がありました。 しかも、遠 洋漁業は外国の沿岸や沖合で操業する実態があり、二重の意味で問題を抱えていたのですが、その分野の一企業に依拠する人間として、ひたすら、価格が高い魚 をできるだけ多く獲ることに没頭していました。



 私は1970年にA社の営業員として富山県に転勤し、遠洋サケマス漁業の仕事の傍ら、スキューバ潜水を体得して定置網技術を習得したことから86年に研 究室に転勤して、沿岸漁業に重点を移す会社方針に沿ってそれなりに仕事に邁進したつもりですが、下降期に入った企業の衰退は非常に速く、94年のリストラ で退職しました。



 当時、社員よりも確度が高い情報を広く入手できた筈の上層部は、なぜ底引漁法と200浬問題の本質を捉えて、経営的・資金的に余力があった段階で早めに 対策を講じなかったのか、という点で疑問を感じますが、上司よりも後まで残る私たち社員こそ日々の業務に埋没するだけではなく、本質を見極め、企業を存続 させるために真剣に考え、声を上げるべきであった、と考えています。



 会社からリストラを知らされた時に、会社が至った経緯を分析し、対策(本質的な資源培養事業推進など)を提言しましたが、社内は退職する者と残る者の損 得勘定や異動の話などで騒然とし、上司は「残るも地獄、去るも地獄」という話をするだけで確かな方針を示せず、工場従業員に加え、全国から希望退職者が続 出して、会社予定以上の、従業員の4割強の社員が退職しました。



 漁業とそれに関わってきた企業の盛衰を振り返って見ると、「本質的にダメなものはやっぱりダメだった」という結論に至ります。



 今の日本には、どうすれば安定した社会が形成でき、国民が安心して生きることができるかという点で、本質を見極めることが最も大切だと思います。
 そうすれば、この混沌としている国の進むべき方向が見えてくる筈です。(続きます)

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