コラム

魚の味

18.魚の味:富山湾の魚5

2009年12月21日

四季折々、日本海を北上又は南下する回遊途上の魚が富山湾に入ってきます。無論富山湾で生まれて湾内で一生を過ごすものもいます。

その内、私が獲った(又は拾った)ものやよく食べたものをいくつか紹介します。

 
【ホタルイカ】

ホタルイカは日本海全域に見られ、普段は水深200m以上の深海に生息していますが、産卵のために富山湾東部の富山市、滑川市、魚津市の間の20kmほどの狭い範囲の海岸に押し寄せてきて春を告げます。

  全長7~8cm、体重10gほどの小さいイカで、触手の先と胴部腹側に発光器があって、刺激を受けると青紫色の鮮やかな光を放ち、夜中に岸壁や砂浜に泳ぎ着くのを懐中電灯で捜してタモですくい上げて歩くとバケツ1杯ほど拾えることがありました。

 

滑川や魚津の定置網で大量に獲れる時は光の乱舞が幻想的で、船から見る観光客が喜び、漁師は毎年決まったように来てくれる「お客様(ホタルイカ)」を喜びます。

沿岸で獲れるホタルイカは交尾を済ませた雌で、雄は交尾後すぐに死んで殆ど見当たらないと言われており、定置網で一度に10トン(約100万尾)ほど獲れることもあり、ボイルした酢味噌和えは大変旨いものです。

 

ホタルイカが富山湾の滑川や魚津に集中して押し寄せてくるのは急深で複雑な海底谷などの地形と冷たい雪融け水が誘うのではないかと推測され、ホタルイカと いう愛らしい生物と、それを毎年決まった季節に招いてくれる壮大な山と川と海に「神、又はSomething Great」の恩恵を感じます。

 

全くの余談ですが、NHK朝ドラ「ウエルかめ」のヒロインが勤めている出版社の編集長役を好演している室井滋さんは滑川市出身で魚津高校を卒業していると のことで、彼女が高校に通っていた頃、私は水産専門商社A社の営業拠点(出張所)を魚津高校のすぐ近くに開設し、県内全域、石川県、新潟県、北海道(根 室・釧路・函館)、三陸(八戸・気仙沼)を飛び回っていました。無論、室井さんが近くにいたことは知る由もありませんが、テレビで彼女を見ると同郷のよし みのような親近感を覚えます。

 
【アマエビ(和名ホッコクアカエビ)、ズワイガニ】

アマエビとズワイガニは山陰以北で獲れ、北海道でも獲れますが、身びいきのためか最初に食べた衝撃からか、富山湾で獲れたものが一番旨かったように思います。

北海道では和名トヤマエビ(本州のボタンエビと混同されて北海道でボタンエビと呼ばれることが多い)、ホッカイエビ(北海道で北海シマエビと呼ばれる)、 ケガニ、ハナサキガニ等の非常に旨いエビ・カニの仲間がありますが、アマエビとズワイは本州日本海側で獲れる代表的なもので、それぞれ刺身は糖分の甘みと は異なる上品な甘みと味わいがあり、深緑色のヒスイのような卵を抱えた妖艶な紅色サンゴ色の姿態をしたアマエビは食べるのが勿体ないようで、ズワイの均整 のとれた姿と何色とも表現しがたい微妙な色合に人知が及ばない自然の造形美を感じます。

 

1970年頃に底引網で獲れたばかりのズワイガニを木箱に一杯貰って帰り、玄関の土間にそのまま置いたところ、元気のよいのが這い出して動き回り、それを知らないで帰宅した妻を絶叫するほど驚かせたことがありました。

足は殻を外した身を氷水につけると生体反応で花が咲いたようになって見た目にも鮮やかで甘さが一層感じられ、ボイルしたものは話をするのも惜しいほどに食べたことや絶品のカニ味噌(中腸腺)をすすったことが思い出されます。

 

県境の越中宮崎から新潟県の能生にかけてズワイガニより深い場所でのカゴ漁業でベニズワイガニが獲れ、ズワイガニとは少し味わいが異なりますが値段も手ごろで、国道8号線沿いで売っているのをよく買って帰りました。

私の家では子どもたちが小さいころから(離乳食から)魚や刺身を食べさせ、時には腹一杯食べさせることができたので、魚に関して(だけ)はぜいたくをしました。

 

尚、カニはボイルで食べるのがほとんどでしたが、ドリップが出てしまうことから最近では蒸しガニや焼きガニが主流になっており、同様に最近では野菜を煮ず に、白菜などの葉野菜は68度C前後で蒸すことによってシャリシャリ感と食材が持っている甘み等の本来の味を楽しめるので急速に広がり、都会では蒸し料理 の店では順番待ちの列ができているとのことで、ホタテなどの貝も一層旨さが引き立つようです。

 
【カレイ、クロダイ、キス、メバル、イシダイ】

冬のカレイ(イシガレイ・マコガレイ)、春のクロダイ、夏のキスは富山湾のどこの海岸でも釣ることができました。

いずれも産卵期に雌は卵を持ち、私は薄暗い早朝(朝まずめ)から日の出1時間までを目処にして、黒部川の左岸(黒部市生地)と右岸(入善町芦崎)から50mほど投げるとよく釣れ、晩酌に最高の肴になり、旬の味が凝縮して大変旨いものでした。

 

メバルとイシダイは、夏に、険しい海際の道で知られる新潟県の親不知(おやしらず)海岸の崖を下って、沖200mほどの岩場を潜って、ワンパク時代の経験から復活させた手製の銛でよく突きました。

  直径3~4mほどの岩が重なってできた大きな隙間にメバルが群になって泳いでいるのを、魚が重なった時に引き絞ったゴムを放すと、時には2尾まとめて突 くことができ、磯の王者イシダイは好奇心が強く、突きそこなって一度逃がしても「あれは何だったのか?」というように戻ってくるので、辛抱強く待つて「幸 運を仕留めた」ことが何回もあります。

 

クロダイとイシダイは定置網でも獲れる魚で(メバルやキスは定置網では獲れな い)知り合いの網に乗って行った時、一度にクロダイ1000尾(数トン)、イシダイ20~30尾ほど獲れたことがあり、普段は単独で行動するクロダイも産 卵期などに群を形成して移動することがあるようで、スズキも産卵期の冬に4~8kgの大型が100尾以上獲れたことがあります。イシダイはしっかりした身 質の刺身の味が濃厚で、アラは煮てもよく、頭を焼いて丼に入れて熱燗を浸した「骨酒」は最高です。

 

脂が乗った魚は旨 いものが多いのですが、「脂が乗っていること」=「旨い」ということではなく、スズキは脂が乗らない夏が旬で肉に旨味があり、その洗い(これも生体反応の 利用)が絶品です。スズキの洗いは東京(あるいは江戸)から広まったと推測され、繊細な江戸っ子の舌が高度な食材利用(料理)を生みだしたと思われます。

 

尚、富山県の漁業者は刺身を甘口の醤油で食べます。彼らがサケマス、マグロ、イカ等の漁船で出港する時に地元の味噌や醤油を大量に持ち込んで行くのをよく目にしました。

東京生まれの筆者は初め甘口の醤油に違和感を覚えましたが、繰り返して味わっている内に脂の乗った魚はその甘口の醤油が馴染むことが分かってきました。

 

又、氷見や魚津では刺身にワサビや生姜を使わずに大根おろしを添える漁師がいますが、確かに大根おろしは脂の乗った魚に合います。今でも時々乗船させても らう宮崎県延岡市島浦の定置網漁場では刺身の醤油に柚子を絞りますが、現地で夏の盛りに仕事で汗を流した後はサッパリ感があって刺身が一層旨く感じられま す。 このように調味料も地域の食材や気候・風土と関係を保っているわけです。

 

カレイ、クロダイ、キスは能登半島内 側の石川県穴水、七尾から定置網の本場である湾奥の富山県氷見、新湊でも獲れ、湾内の海岸で釣りや刺網でも豊富に獲れた魚ですが最近は減少しているとのこ とで、1980年代まで黒部川河口の左岸や右岸に早朝から釣人が並び、午前中に一人で50枚も釣れたカレイや大抵の人が20~30尾ほど釣れたキスが全く 釣れなくなったようです。

黒部川河口でカレイやキスが釣れなくなった時期は、黒部川の5つのダムの内、出し平ダムの排砂ゲートを開けて溜まった土砂やヘドロを定期的に排出し始めた1990年代と重なります。

 
【自然と人工の調和】

ダムは水と共に土砂も貯めてしまうので時々排出しないと埋まってしまいます。

ダムがない川は水と一緒に土砂を流し、河口に三角州を形成し平野を作りますが、ダムによって時々まとめて人為的に排出することになり、沿岸に来遊する魚はもとより、その周辺ではアマエビのように深い場所に生息する魚介類も影響を受けるとみられます。

 

富山湾には小矢部川、庄川、神通川、常願寺川、白岩川、早月川、片貝側、小川など約100の河川が山から下って平野を潤していましたが、ダムや工業用取水 などで流れが不規則になり、時には水が流れずに川底が露出することもあり水(地下水)や魚への影響は非常に大きいと考えられます。

 

川や海は人工の造作物だけではなく、自然そのものの変化を恒常的に受けています。

魚津市は「魚の津」に示されるように、沖に向かって遠くまで砂浜が続いていた所です。

それは、私の友人が子ども時代の50~60年ほど前のついこの間のことで、人の寿命未満の僅かな間に数百メートルも海岸が後退して砂浜がなくなり、今の一 帯は人家や道路に覆いかぶさるように高いコンクリート護岸と三角錐のコンクリート塊(通称テトラポット)で保護されている所もあり、その護岸工事がなけれ ばもっと浸食されて後退していたと推測されます。

 

一方、富山湾の各所で1980年頃に沖合50~100mほどの所に 海岸線に平行してコンクリート塊を積み重ねた離岸堤が見られましたが、その内側に砂の堆積によって砂浜が形成されるようになっていたのに驚くとともに、動 いている自然に対する人間の柔軟でしたたかな知恵を感じました。

その効果が間違いないものかどうかはその後確認していませんが、人工の 造作物は自然との調和の中でこそ残れるものであり、永い時間の中で日本列島が移動しているのに、そこに不動不変の造作物を構築しようと考えるのは無理があ り、自然の長いスパンで見れば短い間に破綻を来すことが容易に想像されます。

 

例えば、ダムをどうしても造らなくては ならない場合には、地形の変化など自然の動きを十分把握した上で、哺乳類、鳥、木々、草花などの目に見える動植物はもとより、魚、昆虫、ミミズ、コケ、藻 類、プランクトン、バクテリア、に至るまでの生命の仕組みと循環を勘案しなければならないこと、それらの自然をヌキにして人間だけでは生きられないことを 認識すべきで、それは現在の急速な温暖化を見れば明らかであり、人類の存続のためにもう一度謙虚に振り返ってみることが問われています。(続きます)

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17.魚の味:富山湾の魚4

2009年11月16日

【サクラマス】

 富山湾は「キトキト」の(鮮度がよい)旨い魚が豊富ですが、今サクラマスが赤信号です。

 

 サクラマスは富山では「本鱒」と呼び、味は最高級で、紅サケや、北海道では知られている高級魚「ケイジ(鮭児)」と並ぶ旨さがあり、富山の「鱒の寿司」はサクラマスの押し寿司で、サクラマスが美味なので「鱒の寿司」が旨いのは当然と言えば当然です。

 

 サクラマスは夏には稚内付近やオホーツク海まで北上して成長し、桜の季節に川を遡上してヤマメ(同じ魚で育ちが違うだけ)が生息する上流まで辿り着いて産卵し、その稚魚が海に下ると「サクラマス」、陸封(河川や湖に残ったもの)が「ヤマメ」になります。

 

  富山県には黒部川、上市川、明治時代に河川工事のオランダ人技師が「これは川でなく、滝だ」と表現した常願寺川など立山連峰を源流とする急流があり、上流 には滝もあり、遡上するのは大変なエネルギーが必要ですが、黒部川に黒四ダムが出来る頃までは、サクラマスが遡上する数も多く、隆盛した日本海鱒流し網漁 業によって漁獲されました。

 

【自然破壊】

 日本各地で獲れたサクラマスは、ダムの影響などで急減し、今は手間と費用を掛けて養殖していますが、自然が無償で育てる天然ものと比べて味はかなり落ちます。

 

  日本は海、川、湖、山に恵まれ、魚が豊富だったために、何千年もの間に自然の恩恵を享受してきましたが、歴史的には僅かな、最近の数十年の間に行われた、 ダム、埋立て、護岸、海砂の採取など、狭い視野や近視眼的施策によって、これ以降、計り知れない恩恵を失い、又は失い続けるという事実(自然破壊)が多す ぎる気がします。

 

 仮にダム建設で毎年1万尾のサクラマス資源が失われると、1尾2,000円として年間2千万円 となり、歴史的にはごく短期の100年で見ても、1つのダムによってサクラマス1魚種だけで20億円の損害を被ることになります。損害はサクラマス1魚種 だけではなく、影響を受けるすべての生物(動植物から微細生物まで)を計算したら膨大な数値になる筈です。

 

 では、その損害は誰が受けるのでしょうか。直接被害者は農家や漁業者ですが、実は日本国民がその損害を広く受けており、これからも受けるのです。しかも「確実に」です。

 

 政権が変わり、公共事業見直しが進み、一部の事業では工事続行を主張する声が上がり、様々な論議を呼んでいますが、最も大切な視点を忘れた主張には説得力がありません。

 

 最も大切な視点とは、山も海も川も『現在そこに居る人間がたまたま利用させてもらっている。』のであり、そこで行われた結果は「子子孫孫の、その後にまで尾を引き、その影響は生物ピラミッドの底辺にまで広がるが、それでも恥じることがないか。」という問いです。

 

 日本海鱒流網漁業は、外国に入漁料を払わないで操業できる貴重なサケマス漁業でしたが、ダムによって資源減少が進み、事業として成立しなくなって消滅しました。

 黒四ダムがある黒部川が注ぐ入善・黒部海域は、時々ダムから流す多量の土砂によって漁場荒廃が進み、友人が経営しているアマエビ漁業も資源枯渇のピンチに陥っています。

 

【サケマス漁業】

 戦後の食糧難時代に遠洋漁業による国の食糧確保政策に乗って函館を基地とする母船式サケマスと、道東の釧路・根室を基地とする独航船単独操業による中部(中型)サケマスが全盛期を迎え、富山県は中部サケマス流網漁業が盛んでした。

 

 私が水産専門商社の本社から富山県に転勤したのが1970年で、遠洋漁業でも隆盛を極めたサケマス流し網漁業が終焉を迎える前の、花火がパーッと光るような勢いがありました。

 

 富山県の漁業者(船主)は釧路・根室を基地とする中部サケマス漁業に進出して現地に番屋と呼ばれる拠点を持って、4~7月にサケマスを獲っていました。

 

  当時は64トン級の漁船1隻に20名ほどが乗り、ソ連(ロシア)海域まで入って、夜明け前から総長30kmもの網を入れ、夜まで漁獲したサケの塩蔵処理を して、翌朝、又操業するという過酷な労働でしたが、約1ケ月の航海で1億円の水揚げをする船もあり、船主は我が世の春を感じたものと思われます。

 

 サケマス船に納入した機器のメンテナンスと次の漁具受注の業務で花咲などの漁港に駐在して、沈みそうになるまで魚を積んで満船状態で次々に入港してくる船を迎えたことや、(勘定が)銀座並みという呑み屋を夜明けまでハシゴしたのも、今は昔の話です。

 

  なぜ富山県の漁業者が北海道まで行ってサケマスを追いかけたのか、という疑問を色々な人に訊くと、勤勉な県民性、二・三男が出稼ぎを余儀なくされた気候や 風土、北海道との歴史等を教えてくれましたが、私は漁師があの『旨いサクラマス』を追いかけて行った先に、一世を風靡したサケマス漁業があったと見ていま す。 人間はカネによって動く動物でもありますが「あの魚を今年も食いたい」という単純な動機で動く動物でもあるからです。

 

【遠洋漁業は沿岸漁業】

 遠洋サケマス漁業が事実上終わった原因は、200海里漁業水域と、日ソ(日ロ)漁業関係にありますが、端的には『日本の遠洋漁業は相手国の沿岸漁業・沖合漁業である』という事実を思い知らされたということに尽きます。

  どんな漁業でも大洋の真ん中では成立せず、水産資源は沿岸の浅い海域ほど豊富であり、海岸線から水深200mまでの大陸棚の内側が世界の主漁場で、そこは 沿岸域で当然その国が主権を持っています。ロシアのサケを日本が獲れなくなったのは当然であり、自国の山、平野、川、海を大切にすることしか日本が生き延 びられないのも、又、当然です。(続きます)

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16.魚の味:富山湾の魚3

2009年10月16日

 定置網に潜る前は、『素潜りでも浅い所も魚はいくらでも見ることができた。今度は魚を集める定置網の中で、潜水に必要な機能をすべて備えた器具を使って 潜るのだから、網のあちこちで魚の行動が見られる。』とワクワクして、(実は素人が潜るのには最も危険な)定置網の周囲や網の中に入って行きましたが、魚 は殆ど見つけられません。

 

 大海を往来する多くの魚にとって網は海で遭遇する最も危険な物であり、本当は近寄りたくない筈で、行く手を遮られた魚群はそれを回避しながら本来向かうべき方向に行こうとしますが、運悪く網の中に入ってしまうことがあり、必死に出口を探します。

 そのような状況下で、大きな動物(私)が泡を大量に吐き出しながら足をバタバタさせて動けば、魚にとって歓迎したくないのは自明であり、その音(水中では遠くまで達する)を聴いてさっさと難を避けて移動してしまうわけです。

 

 尚、魚群には決まったリーダーが存在するのではなく、いち早く情報をつかんだ数匹の魚がある方向に向かうと、その時点でのリーダーになり、群全体がその動きに従います。

 例えば、群が海を遮断する網に直角に向かった場合は先頭集団が先に網に遭遇し、行き場がなくなるので次の行動を躊躇すると、後続の魚が瞬時にそれを察知 して、横又は後方の状況を把握するためにさっと散らばり、その内の数匹がある方向に向かうと素早く群全体が従うという行動様式です。

 

 群の中心部の魚が、それらの情報を瞬間、瞬間で何によって得て、行動を決めているのかは不明ですが、「一糸乱れず」という形容がピッタリの、実に見事な連携行動です。

 

 魚の動きの観察には、こちらから出かけて行ったのでは見ることができないので、袋網の入口である昇り(前図④)と金庫⑦入口(通称「廊下」)の上から シュノーケルを使って数時間ずつ何回か観察したことがありますが、そのような先細りの形状を警戒して、魚がなかなか入ろうとしませんでした。

 

 それは当たり前のことで、判断を間違えれば命を失うことになるかも知れないという状況下で、危険を感じる方向へは誰だって行きたくないのであり、群の総力を結集して迅速に情報を収集して判断を下し、危険ではない方向に逸れて行くわけです。

 では、どうして魚が網に入ってしまうかというと、「網の中に入ってしまった」と思わないような大きな網にしておくことが基本であり、そのために定置網は 非常に大きく形成されており、袋網の入り口を段階的に小さくして、逃げ場を探し当てられない魚に逃げ道だと勘違いさせることによって次第に奥の方の箱網⑤ や金庫⑦に誘い込む構成にしています。

 

 魚の行動は魚種、成長度、群の大きさ、水深、明るさ、時刻、等によって変わりますが、定置網はただひたすらに「間違って入ってくる魚」を待ち続ける根気強い漁法です。

(「魚の味」という本題から脱線したので、戻しましょう)

 

 富山湾で私が「旨い」と思った魚は、春のホタルイカ、ハチメ(メバル)、クロダイ、サクラマス、キス、夏のスルメイカ、越中バイ、秋のフクラギ(イナ ダ)、アカカマス、ヤマトカマス、秋から冬のガンド(ワラサ)、アマエビ(ホッコクアカエビ)、冬のブリ、マダラ、二ギス、ズワイガニ等は、他の産地のも のと比べて一味違うように思われます。

 

 これらの魚介類は、脂が乗った方が旨いと感じられるものが多く、富山湾の地形などの特性がその味を育んでいると言えます。

 

 魚の味を決める要素はやはり餌だと思われ、それに水温が関係していると考えられ、「旨さ」は何によるのかという点は、ブリで調べたように脂質が大きな要素とみられます。

 

 但し、脂が乗っていれば旨いかというと、そうではない場合もあります。

 

 12月の定置網で大量に獲れるスズキは型も大型で脂が乗ってよく太っていますが、肉が白く、鍋には向いていますが刺身では柔らかくて味に切れがなく、あまり旨いとは感じられず、東京湾で夏にとれる透きとおった弾力のある身質と比べると数段落ちるように感じます。

 

 東京湾の冬のスズキもかなり食べましたが、これは適度に脂が乗って、夏のスズキには及びませんが刺身でも洗いでも結構旨かったのを覚えています。

 

 スルメイカは、春先は肉が薄いものが多く、これを好む人は漁師に多く、夏に適度な脂があって晩秋になると肉質が硬くなるのでスルメ、沖漬け、塩辛に向いています。

 

 対馬は「川でもマツイカ(対馬ではスルメのこと)が獲れる」というほど冬の定置網で大量に水揚げされますが、味はイマイチで対馬の漁師はこれを殆ど食べず、甘みのあるケンサキイカ(対馬ではヤリイカと呼ぶ)を専ら賞味します。

 

 夏から初秋の佐渡や富山湾のスルメイカ(釣りイカ)の刺身は甘みもあって美味で、これを干したスルメは見事な鼈甲色で甘みや旨味が実に濃厚でした。とこ ろが、天日干しから冷風乾燥になって味が落ち、さらに、佐渡ではニュージランドの釣りイカ冷凍品(マツイカ)を使うようになって「佐渡スルメ」の評判が一 気に凋落したのが残念です。

 

 ところで、イカの刺身を作る時にどのように切っていますか。

 

 人によっては胴を開いて縦に二つに切ってその幅で刻む方法をとりますが、漁師は先に一定長さに胴切りした後に縦に刻む人が多いようです。この方は胴に走る繊維に沿って切るので、舌触りが滑らかで、函館のイカソーメンはこの方法で切っています。

 

 切り刻む幅をどうするかについては、肉の厚みと同じ幅で切るとコリコリ感が出て、鮮度がよいように感じられ、肉厚のものや肉質が硬い場合は厚みより薄く切るとネットリ感が出て甘みが感じられます。この辺の好みは人それぞれでしょうか。(続く)

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15.魚の味:富山湾の魚2

2009年10月15日

 定置網は海面に浮いているフロートから海底の土嚢(基礎)の間を100本前後から大きいもので千本以上の碇綱が張られ、各部分の網は海底に達しており、水中の眺めは実に荘観で、水面上で見る風景とは全く別の世界がそこにあります。

 

 初めて海の中の定置網を覗いた時、壮大さに圧倒され、その構造物を海中に張り建てた技術とエネルギーに思わず「うわっー」というような声を出したように記憶しています。

 

 水産関連商社で網メーカーでもあったA社の本社東京から富山県の入善町にあったサケマス流網の修理と仕立を行う工場に赴任して1年経った28才の夏のことです。

 

  定置網に魅せられて富山に居る間にトコトン学ぼうと決め、最も核心に触れることのできる手順として、結婚半年の妻に支給されたばかりのボーナスをそっくり 使わせて貰う許しを得て、10年来の念願だったウェットスーツ・ウェイト・ボンベ・レギュレター・メガネ・ナイフ・時計・水深計の一式を魚津のダイビング 店で買い、2回ほど講習を受けて、すぐに黒部川下流の芦崎海岸を潜りました。

 

 素潜りはそれなりに経験があり、館山の沖の島で地球には空気中の世界の他に海の中の世界があることを知った時の驚きは鮮烈で、以来よく潜りましたが潜水時間は息が続く30~45秒ほどで、深さ1~5mの海の表面を垣間見たに過ぎませんでした。

 

  いつか呼吸を気にせずに自由に潜りたい、と思っていたのが思わぬ転勤で実現し、喜びを抑えながら5m、そして10mほどの所を潜って徐々に器具の扱いに慣 れたところで、海底に沿って沖に向かって真っすぐに進んで行ったところ、「すり鉢」地形のために20m、30m、40mと、どんどん深くなり暗くなってき ました。その内、「深い所には人の倍もある水蛸が住んでいて襲ってくる。」というダイビング店での話を思い出し時に前方の底に大きな影がゆっくり動いたの を見て怖くなり、急いでUターンして波打ち際で水面に顔が出た時には顔が引きつっていたのではないかと思いました。 その後、手当たり次第に湾内の定置網を潜って、観察を繰り返している内に少しずつ網と魚のことが分かってきました。

 

 定置網は、産卵場や餌を求めて海岸線に沿って移動する群や、沖から陸、陸から沖に移動する魚群の進路を遮断して、ネズミ捕りのように出にくい構造の箱網に陥れて、毎朝決まった時刻に箱網を起こして漁獲する日本独特の漁法です。

 

 網を起こすまでは魚は広い網の中で自由に泳ぐことができ、網を徐々に起こして、魚捕りに追い詰めたら一気に取り込んで、暴れる間もなく氷や鉤で締めるので他の漁法以上に鮮度を保つことができます。

 

 魚の習性を利用する漁法、マグロからイワシまで獲れる多様性、高鮮度、大漁時に出荷調整できる構造、燃料が僅かな省エネ操業等の特長で、沿岸の代表的漁業の一つです。

 

【定置網の概念図】

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  定置網は、土台となる土俵(図の※1ケ所当たり重量60kgが100~300ケほど)で固定され、長さ300~1500mほどの垣網(図の①)を辿って行 くと入口②があり、さらに進むと運動場③に達し、ジョウゴ型の昇り④を経て、その先の箱網⑤に陥れる仕掛けで、箱網に入ってしまうと出られない(と考えら れていた)構造になっており、さらに、その先に「金庫」⑦という小型のオトシ網が取付けられようになりました。

 

 定置網の中や周囲を潜って半年ほど経ち、網の構造や魚の行動が分かってきた頃、何人かの船頭(漁労長)に、「網の周囲に来た魚の何パーセント位が獲れていますか」と訊いたことがあります。 答えの多くは「魚は群のリーダーに先導されて行動し、魚体より大きな網目の垣網①を抜けずに、入口②⇒運動場③⇒昇り④⇒箱網⑤と進み、箱網に入ってしまえば出られず、100%とは言わないが5割は獲れている。」でした。

 

 私は『魚はヒトよりもはるか前の太古以来、想像もつかない試練をかいくぐって、したたかに生き延びてきた筈で、知恵比べ的漁法である定置網に遭遇した時に、人間の期待通りやすやすと捕まるだろうか・・・その程度の能力の魚種ならとっくに絶滅している筈。』という思いを強く抱いていました(質問の単位がパーセントの由縁です)。

 

 その実感の一つに定置網の中をいくら探しても「金庫」(図⑦=10×10×10mほど)以外では魚の姿を見ることができないという現象がありました。 その内にそれは、私が網の中で魚を探す前に魚が察知して視界には殆ど現れないことが分かってきました。

 

  富山湾はプランクトンが多いので透明度が低く視認距離10m以下のために遠くまで見通せず、箱網⑤の中を潜水している内に、いつの間にか入口②から出てい て「???・・・」という思いをしたことが何度かあり、さらに観察を続けた結果、海では人間より数十倍も優れた能力と行動力を持った魚が簡単に捕まってくれる筈がない、人間の思惑ほど獲れていない、という考えが強くなり、やがて確信に変わりました。(続きます)

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14.魚の味:富山湾の魚

2009年09月24日

これは、ある海岸線を表した一千万分の一の地図ですが、何処か分かりますか。

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 正解は、日本列島の海岸線をアジア大陸側から見たもので、ロシアでは日本沿岸をこのように表示している地図があり、見る角度でモノや現象がまったく変わって見える一例です。

 

 地図の中ほどにある黒塗りの半島が能登半島で、北海道を上にして見ると分かりますが、能登は日本海に突き出た最大の半島で、輪島付近から先端が東にカギ型に折れ曲がり、北から回遊してくる魚群を誘導する格好になっています。

 

  能登半島に囲まれた海が富山湾で、列島の中央に位置し、寒暖の海流が沖で混じり合い、対馬暖流に乗って北上してきた魚群の一部は湾内に入り、再び北を目指 した群は北海道沖まで行って脂の多い餌を摂り、秋に産卵のために南下を始め、それを待ち受ける形の能登半島に誘導されて富山湾に入って来ます。

 

 富山湾は「すり鉢」と形容されるほど急深で、海底谷が入り込んで起伏が形成され、立山連邦の雪融け水が流入し、海流や風が水を混ぜて大量のプランクトンを発生させ、小魚が群れ、それらを餌とする魚介類が四季を通じて恵みをもたらします。

 

 一方、日本海側の能登半島と富山湾に匹敵するのが、房総半島と東京湾です。

 

 地図を見ると分かりますが、規模的にほぼ同じ位で、どちらも列島の中央で位置的に表裏の関係にありますが、この二つの湾は構造的に正反対です。

 

  富山湾は北東に開いて北から来る魚群を待ち受け、東京湾は南西に開き、世界有数の暖流(黒潮)が入り込み、西方からくる北上群(上り群)を誘い込むのに格好の形をしています。

 

 もう一つの違いが、水深で、富山湾の中心部は1000m以上ありますが、東京湾の入り口となる三崎より奥の湾内は最も深い所でも50m以内で、典型的な「すり鉢」型の富山湾と「平皿」型の東京湾という対比になります。

 

 東京湾の西前方にある相模湾も駿河湾も湾奥にまで1000m等深線が入っているので、むしろ東京湾が例外的に浅い海であると言えるでしょう。

 

 この地形の相違が東京湾の魚と富山湾の魚の「味の違い」を生んでいるとみてよく、越中の人たちは昔から脂の乗った魚を食べ慣れており、江戸の人たちは脂の少ない上りカツオに代表される淡白な味に親しんできた歴史があるようです。

 

 各地を回った時に、地元の魚を漁師と食べる時に必ず耳にするのが「ここの魚が一番うまい」という言葉です。

 

 その地域の魚はその地域の人々に古くから食されていて、それが脳に刷り込まれているので、地元の魚が一番うまいという話が出るのは当然です。

 

  私は幸い、東京湾の魚と富山湾の魚の両方を人一倍食べる機会に恵まれたので、その違いが分かり、両方をうまいと思っているので、「東京湾の魚も旨い」と言 うと、眉をひそめる人もいます。 それはこれまで東京湾が埋立られ、汚水がタレ流され、死の海寸前まで傷めつけられたからですが、今回は東京湾の魚を保留して、富山湾の魚に話題を絞りま しょう。

 

 富山湾など、北陸の魚の旨さを説明する時に「日本海の荒波が身を引き締める」という人がいますが、富山 湾は冬の北西風を能登半島がシッカリと防いでいるので、それほど時化る訳ではなく、湾奥の新湊・氷見では冬でも凪が多く、春から夏は台風以外で大きく時化 ることは殆どなく、「日本海の荒波」という表現は適当ではありません。

 

 むしろ、富山湾では冬期の温和な条件を活かし越中式定置網が発達してきました。

 

 およそ100kmの海岸線に大小100以上の定置網がビッシリ張られており、入り込んだ魚が逃げる隙間もないほど定置網が張り巡らされていますが、それぞれの網の経営が成り立っていることは、それだけ海の気象条件に恵まれ、魚が豊富であるからです。

 

  定置網は大きいもので、垣網の長さが1000m以上あり、最後に起こす箱網(袋網)が学校のグランドほどあり、ごく小さいもので垣網の長さが150mほど で、毎日起こす(操業する)箱網の表面積が畳300枚分ほどあり、各部分網は海面から海底までを塞いで設置されていて、相当に大きいものです。

 

  定置網は水面上で見ても大きいものですが、水中を見るとそれぞれの網は海底まで達していて水面から覗くと真直ぐに海底に向かっており、浮子(アバ:フロー ト)から海底の土嚢(基礎)の間をごく小さいもので100本ほどから大きいもので数千本の碇綱が張られ、その眺めは実に荘観です。
〔続きます〕

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13.魚の味:日本人の味覚

2009年08月28日

 前号と前々号で、ブリの例で魚の価値と価格の調査結果を提示しましたが、では、消費者は魚に対する味覚や外観の見極めがキチンとできるのか?という点は(アンケート調査の詳細は別の機会にして結論を急ぎますと)・・・これもかなり確かであると言えます。
 これらのことから日本人の味覚の確かさは相当のレベルにある、と私はみています。

 

 魚の味については「さかなクン」が日本一詳しいと言ってよいと思いますが、彼がどのようにして味から魚種を特定できるのか一度教えてもらいたいものです。
 暫く会っていませんが、「さかなクン」宮澤正之さんが今のように有名になる前から館山の海で知り合うことができ、最近はテレビで活躍しているのを見るのが楽しみです。

 

 館山湾の沖の島は、私が初めて魚らしい魚に出会い、高校卒業まで年に50回以上通った私の「宇宙」であり、1999年に地元香の「漁師」菊地 勝さんから「沖の島の沖」に定置網を設置する仕事を任された時は、そこに至る過程での縁に『神の恵み』を感じました。
 測量・設計・張立てに全力を傾け、規模(沖側水深22m)からすると通常5人位で操業する網を2~3人で操業できるようにして、身網は活魚になる磯魚・クロダイ・スズキ・アオリイカ、回遊魚のイナダ・アジ・カマスなどを確実に漁獲できる底建網を勧めました。
 あれから10年。「菊地丸」は私の予想以上の好調な水揚げを続けておられます。

 

  その後も様子を見に時々「菊地丸」に乗船させてもらっていましたが、ちょっと変わった若者とよく同乗して知り合いましたが、それが宮澤正之さんで、船上で は独特のカン高い声で感動したり、何にでも興味を示していましたが、話合ってみると情報が確かで礼儀正しい青年でした(TVチャンピオン5連覇達成の頃で したが、私は全く知りませんでした)。  

 

 まさか今のようにチョー有名人になるとは思っていなかったので「あなたはこれから何でメシを喰って行くのですか」などと余計なことを聞いたことがあります。
彼のような人が、小さい子供や青少年、そして次の時代の味覚を決める主婦や若い女性に、魚や海のことを語ってくれることは漁業者にとって大きな励みになります。

 

  さて本題に戻りますが、日本人は味覚に対して飛びぬけて優れた民族であり、その素養が多様な食を受け入れ、世界一の長寿が得られたのではないかと推測して います。その大切な味覚を鍛えてくれたのがコメ、魚介類、海藻、季節の野菜、及びそれらの加工品で、これらが概ね淡白な味であることと関係が深い、という 確信に近い考えを持っています。

 

 例えば日本人は海苔、ワカメ、コンブ、テングサ(ところてん)、ヒジキなどの海藻を好んで食べる稀有な民族ですが、味のないような海藻を「旨い」と感じることができる繊細な味覚を持っているからこそ、日本の食文化が高いレベルに達したのだと思います。

 

 最近は韓国でも板海苔が盛んに作られています。 甘辛く濃い味付けがしてあり、初めは「ウン?うまいかな?」と思いましたが、すぐに飽きてしまいました。
 私には普通の海苔に醤油を少し付けてご飯に載せて食べるのが最高ですが、民族的、文化的に最も近いお隣の国との間でも嗜好にこれだけの違いがあります。

 

 ところで、あなたは、海苔に醤油を付けた面を下にしてご飯に載せて食べますか、反対に載せますか。ここにも人によって好みが表れます。
正解は・・・その人がそれでよければ(うまいと思えば)それが正解であり、屁理屈は不要だと思います。 尚、私は小さい頃から(多分、親がそうだったから)醤油を付けた面を下にすると醤油がアツアツご飯に馴染むので、それを「旨い」と感じています。

 

 正月に食べるモチはご飯の加工品ですが、余分な味付けがされず、特有の味と食感を楽しむことができ、搗きたてに大根おろしの絶妙さ、焼けば焼いた味になり(これを醤油に付けて海苔を巻いたのが最高)、雑煮、ぜんざい、黄な粉なども楽しむことができます。
 味が淡白であることが主食用保存食として非常に優れており、その点で、ご飯も淡白な味が主食としての優れた特性であり、ほんの少しのおかずや味付けで「旨さ」を味わえるという特長があり、そこに日本人の味覚の原点があるように思われます。

 

 そしてもう一つ、日本人の味覚を育ててきたと思われるのが、水です。
日本の井戸水は軟水で、そこに微量のミネラルが含まれた「うまい水」に恵まれてきたことによって、日本人の繊細な味覚が培かわれてきたのだと推測しています。
 山登りなどで岩清水にめぐり合うと、身体が欲していた水分とは別の「うまさ」を感じた経験は多くの人にあると思いますが、あの味は非常に僅かな量のミネラルなどを舌、唇、喉が感じ取っているからでしょう。

 

 私は若い時に富山県に16年在住しましたが、立山連峰の雪が伏流水となって野に下り、豊かな地下水となって県内のあちこちで数十センチも自噴しているのが見られ、生活水はもとより、冬の道路融雪用にも使えるほど豊富で、まさに『山の恵み』そのものでした。
  「本当にうまい」水で、二日酔いの朝などは「こんなにうまいものを忘れて、何で酒なんか呑んだのだろう。」という自戒の気持にさせられました。県内には日 本の名水に選ばれたものもあり、色々飲み比べてみると微妙な違いがあり、そこに到達するまでに含まれた、ごく僅かな成分の相違が各々の水の味を作っている のでしょう。



 その上、富山県は日本でも有数の「旨い魚」を水揚げする地域で、私と家族はそこで『海の恵み』にも与ることができました。(続きます)

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12.魚の味:産地による味と価格の違い

2009年07月30日

    前回(11)ブリの産地と天然・養殖の違いについて、成分分析、生産者価格、外観と食味アンケート調査の結果を述べましたが、この時もう一つの「実験」を試みました。

 

    12月の対馬の天然ブリ1250円/kgに対して富山の寒ブリは約3倍という状況から、対馬のブリを寒ブリの本場に出したらどうなるかという点を試してみた訳です。
対 馬に「ブリ飼い付け」という古くから行われてきた漁法があり、漁場とする瀬でブリに撒き餌をして飼いならすものですが、秋に釣ったものは冬のブリより体重 が軽く、脂も乗っていないので、これを釣ってどんどん投餌して太らせて、12月に出荷すると体重が増えて値段が上がるので現地では重要な事業になっていま した。

 

    尚、ブリ飼い付け漁業は対馬周辺のブリの回遊に影響を及ぼしていると言われ、春先には産卵後の痩せた「大根」と呼ばれるブリが対馬南端の厳原に近い豆酸の定置網などで漁穫され、これを畜養することもありました。
因みに春先の大根ブリは1本1,500円(200円/kg)前後、秋の釣りブリは8~9kgもので1本5~6,000円前後ですが、これが3ケ月から最長1年3ケ月ほどの蓄養によって10,000円(1,000円/kg)前後になるので相当の利益が見込めます。

 

    しかし、それでも富山の寒ブリの1/4ほどであり、本当にそれだけ価値が違うのか、脂の乗った蓄養ブリは寒ブリに間違われて高く売れるのではないか、とい う単純な疑問に期待を込めて12月に獲れた天然釣りブリと、12月に水揚げした蓄養ブリを数本ずつ金沢の魚市場に何回か送ってみました。
結果は、蓄養ブリは最初だけが20,000円ほどでしたが2回目以降は10,000円前後、天然釣りブリは12,500円前後で、福岡の市場に出すのと大差ない価格になりました。

 

【成分分析結果】(②対馬天然釣りブリと、③養殖ブリは前号を参照して下さい)
①富山の寒ブリ(体長75cm・10.4kg)脂質=背23%:腹34%:尾20%(3800円/Kg)
④対馬畜養ブリ(体長73cm・10.7kg)脂質=背 14%:腹27%:尾8%( 930円/kg)

 

【主婦を対象とした素性を伏せた外観(全体/部分)評価、食味アンケート調査の結果】
④は外観(表皮・鰭が黒く、肉と内臓が白い)で「養殖」と見られ、脂味が強いと感じ
る人が多く、総合的に養殖ものと同程度の評価となり、身卸し(直後に身割れが発生)
後の冷蔵保管中の状態変化も③養殖ブリに近いもので、寒ブリが約1週間後でも刺身で
食べることができたのと対照的に、賞味期間が短い結果になりました。
このことは、プロの目は非常に鋭く、魚の状態とその価値を十分見極めて価格をつけており、「確かな目」がなければこの世界ではメシが喰えないことを示しています。
「魚はゴマカシがきかない」ことをあらためて学びました。(続きます)

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11.魚の味:姿と味と価格

2009年06月29日

  館山湾の魚は脂質が少ないものが多く、その後出会った魚〔マグロ・カジキ・カツオ・サワラ・サケマス・カマス・サヨリ・トビウオ・ボラ・スズキ・タチウオ・マダイ・キダイ・クロダイ・メジナ・マダラ・スケトウダラ・ホッケ・ギンダラ・メヌケ・キチジ・キンメダイ・アカムツ・ムツ・ハタハタ・ヒラメ・オヒョウ・カレイ・コチ・ホウボウ・アンコウ・フグ類・サメ類・エイ・マンボウ・イカ類・カニ類・エビ類〕も大てい脂質5%以下(ブロイラー並み)であり、魚介類は全体に脂質が少ないと言えます。

 

    魚介類は旨味成分が多いものや、特有の味を持つものがありますが、下線を引いた魚は脂質が比較的多く(3~5%)焼いた時や煮た時に脂が回ってうまくなります。

 

    他にも地域や季節によってほどよく脂が乗って驚くほどうまくなるものがあり、それらの味が評価されて人気が上昇し、価格に反映されているものが色々あります。

 

    太平洋の秋サンマ(脂質15~20%)より脂質が多いのは、日本近海を北上後に南下するクロマグロ、南緯50度付辺のミナミマグロ、日本海の寒ブリぐらい ですが、これらは魚介類としては例外的に脂質が多く、生産者価格はおよそ4000円/kg以上と高価で、時折その味を楽しむ「ハレの日の食材」として位置 づけられます(霜降り牛肉も同様の食材です)。

 

【12月下旬に入手したブリの成分分析と産地生産者価格調査結果】

①富山の寒ブリ(体長75㎝・10.4kg)脂質=背23%:腹34%:尾20%(3800円/Kg)

②対馬の釣ブリ(体長77㎝・ 9.8kg)脂質=背 8%:腹14%:尾 4%(1350円/kg)

③A県養殖ブリ(体長56㎝・ 4.6kg)脂質=背21%:腹29%:尾 9%( 880円/kg)

 

【素性を伏せた外観評価(全体/部分)・食味アンケート調査結果:主婦対象】

①外観・味ともに評価高く最高点(但しこれを「養殖」と見た人は低い評価であった)。

②外観・味から「天然」と見た人が多く好感度が高かった。味は①に及ばず総合で2位。

③外観・味から「養殖」と見た人や脂が強いと感じる人が多く、総合で最下位。

 

    産地価格は①:②=3:1、①:④≒4:1の格差で、全身/部分(身卸し・刺身)の外観(姿・尾鰭の色・肉色)と味覚評価調査では、消費者は③を的確に「養殖」を言い当てており、食材の基本である「安全と味」の評価が十分得られていないと感じました。

 

    養殖魚は脂質・肉質にも課題があり、①は③より脂質が多いのに食味アンケートで高い評価でしたが、③は食肉の脂肪に似たベトつく感じが敬遠され、身卸し後 に冷蔵庫に保管した場合に、①は1週間後でも色・弾力・味があまり変化せずに刺身で通用しましたが、③は翌日や翌々日には店では刺身で出せない色・弾力・ 味になっていました。

 

    この調査から、魚の価値が価格に如実に反映されていることが判りました。

(続きます)

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10.魚の味:海は先日まで魚でいっぱいだった

2009年06月23日

    作詞家なかにし礼の自伝的小説「兄弟」で、特攻帰りの破滅的な兄がニシン漁の経営に失敗し、死んだ時に「兄さん死んでくれてありがとう」とつぶやく場面があります。

    「オンボロロ~」の「石狩挽歌」は、「赤い筒袖のヤン衆」「番屋」「問い刺網」などの強い描写と、「漁場(ぎょば)」の仕事に明け暮れた女性の人生を通じて過去を際立たせ、ニシンが来なくなった寂しさを見事に描いています。(超一流はスゴイと思います)

    私は、父親が東京日本橋で開いていた問屋の倒産で1955年11才の時に館山に引っ越し、海らしい海と魚らしい魚に出会うことができましたが、倒産がなかったら魚を追いかけることもなかった筈で、「父さん倒産してくれてありがとう」という心境です。

    魚を追いかけるのに夢中で、休みの度に「オンボロロ~」アパートの小2のチビを含むガキ7~8人で、ゾロゾロと蟹田川沿いの小道を下り、浅瀬を渡って自衛 隊の滑走路脇の畑に寄ってサツマイモ・トウモロコシ・キュウリ等を「調達」してから、滑走路を囲う護岸から砂の道でつながっていた「沖の島」に向かいまし た。

    当時、中・高生が大人の日雇い日当以上に稼げるほど獲れたもので、一回30秒ほどの潜水でサザエを3~4ケかき集めることも、2時間位の間に深さ1mほど の岩場でゴロタ石の下を覗いて、手製のゴム付き銛でカサゴやメバル10尾ほど突くことも、そう珍しいことではなく、ビクを獲物で一杯にして樫の柄の銛で担 いで帰ったこともありました。

    素潜りで、サザエ、トコブシ、アワビ、カサゴ、メバル、タカノハダイ、ブダイ、ハタ、ニザダイ、ハコフグ、イサギ、イシダイ、ヒラメ、イシナギ、ワタリガ ニ、イセエビ、マダコが獲れ、簡単な道具で釣をすればアジ、サバ、キスが入れ食いで、梅雨や台風で増水した川では、今は稀少になった天然ウナギが5~6匹 ほど釣れました。

    似たような光景は日本のどこでも見られたものですが、歴史の上ではつい先日のことであり、「ノスタルジア」「昔話」とせずに、よい時代の再現を図るべきと思います。

    最近、石狩湾周辺などでニシンが戻りつつあります。 北海道の「日本海ニシン資源増大プロジェクト」による放流等の成果ですが、最盛期に100万トン以上の水揚げをみたサハリン系群の激減は環境変化が最大の 要因と推測されており、本格的な資源回復のための沿岸域の総合的な環境改善と資源培養策のさらなる推進が望まれます。

    中国が日本の1/5しかない経済水域でコンブ養殖による資源培養、貝類による水質浄化、魚介類無給餌養殖を実現して、僅か25年で漁業・養殖生産量を10 倍(5000万トン台)に伸長させたように、抜本的な手を打てば海の許容力と回復力で恒常的・継続的な恩恵に与ることができますが、このように投資対効果 が有利な事業は他になく、緊急課題である食糧自給に向けて、国の最優先事業として取組むことが求められます。

(続きます)

 

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9.魚の味:『うまい』『まずい』は誰が決める

2009年06月15日

  『うまい』『まずい』は個々人の感覚ですが、母親の嗜好が子どもの嗜好を決めると言われ、幼児期の食生活の重要性が問われています。その後、成長につれて味覚の発達と嗜好の変化が起こり、食の経験が加わって嗜好が確立されていくようです。

 

    GHQは戦後の学校給食に食材を提供してくれましたが、学童への欧米風の味の『刷り込み』によって、アメリカの食糧戦略を日本に浸透させる伏線があったようです。

 

    私の魚との出会いは戦後まもなくで、やたらとしょっぱい「シャケ」=塩サケと「タラコ」=スケトウダラ卵巣塩漬け、サンマの開きなどでしたが、魚に求められる三条件『姿・鮮度・味』に欠けていて、好きになれませんでした。

 

    当時スイトン(醤油汁の中に小麦粉の団子が入った代用食)をよく食べましたが、時折父親が作ってくれた支那ソバ(=後に中華ソバ、ラーメン)は支那竹と鳴戸が載っただけの鰹節ダシのさっぱりした『旨味』があり、今でもその味が最高と思っています。

 

    その後、日本ではアメリカ型の油脂の多い食事や食材が増えるにつれてラーメンが脂っこくなり、今は油脂の『脂味』の魅力で客を掴むことを主眼にしているように感じられますが、味の本質とは少し方向が違うような気がします。

 

    油脂分の多い食材を好きになったのは10才位で、パン工場に行き、店員がコッペパンを切り開いてバタークリーム等をこってりと塗ってくれるのを買うのが楽しみで、この時の『脂味』に魅了されたためか各種クリームや甘いクリームの類は今でも好物です。

 

    小6で千葉県館山市に引っ越して素潜りを覚え、5~9月の休日は毎日、オンボロアパートのガキ仲間を引き連れて館山湾に浮かぶ「沖の島」に行って終日過ごしていました。

 

    みんな貧乏のためにおにぎりも持たずに出かけ、途中の畑で「調達した」サツマイモや、いくらでも獲れたサザエ、獲った時に殻が割れたアワビ、手製の銛で突 いたカサゴ・メバル・イセエビなどを焚き火で焼いてメシ代わりに食べ、食後は木陰で昼寝をしました。(今思うと、何と贅沢な遊びと食事、そして自由な時間 を満喫していたのでしょう)

 

    「沖の島」には台風が近づいた時でも通いましたが、ある日魚も貝も全く姿が見えず、腹が減ったので普段は見向きもしないムラサキウニを獲ってきては焚火に くべて、焚火番をさせていた小2~3のチビガキたちと焼けたものから次々に割って卵巣(可食部)を取り出して腹を満たしましたが、食べ過ぎて気持が悪く なったことを思い出します。

 

    今、回転寿司でウニやイクラが載った軍艦巻きやトロが子どもにも人気がありますが、これらはかなり『脂味』の強い食材で、子どもの脂味嗜好が進んでいる表 れであり、成人後の健康はもとより、その嗜好が子孫に伝承されることが懸念されます。 もっと食材本来の『旨味』を味わうようにすることが大切だと思います。
(続きます)

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