コラム

27.私の時代認識9

2010年04月13日

【明治維新の幕開け】

 下関は、日本の近代化を進めた維新の幕開け舞台となった土地です。

 維新の思想的な源となり、久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山形有朋などの志士を目覚めさせた吉田松陰は、日本史では希有な革命家だったと云えると思います。

 

  萩で生まれ、長州藩の兵学者である養父から山鹿流を習い、叔父が開いていた『松下村塾』で、東洋の盟主清国がアヘン戦争後に欧米の武力による植民地政策で 蹂躙(じゅうりん)されていることを知り、西洋兵学を学ぶ目的で九州を経て江戸に出て1853年ペリーの黒船に出会います。

 

 翌年のペリー再来航時にアメリカへの密航を企てて失敗し、伝馬町の牢から萩の野山獄に送られ、出獄を許されて松下村塾を引き継いで藩の下級武士であった久坂玄瑞や高杉晋作などに世界情勢を教え、それらの弟子が志士として長州藩を牽引して日本近代化の道を開きます。

 

  松陰の革命家としての力は、①「至誠而不動者未之有也(至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり)」②「死して不朽の見込あらば何時でも死ぬべし、生 きて大業の見込あらば何時でも生くべし」等々の歯切れが良いアジ的『教え(語録)』にあり、それが志士たちを奮い立たせます。

 

 高杉晋作は1839年に生まれ、松下村塾で学び、1862年(23歳)に幕府使節の一員として上海に渡航し、清国が欧米の領土租借に名を借りた植民地化された現実を知り、帰国してから江戸で英国公使館焼き討ちなどの攘夷運動に加わりますが、藩命で萩に呼び戻されます。

 

  1863年長州藩は関門海峡で『夷敵』外国船を砲撃しますが、英仏米蘭連合艦隊の圧倒的戦力に敗北し、弱冠24歳の晋作が和議交渉に抜擢され、『彦島』租 借申入れを頑として拒否します。(晋作らは欧米列強の力を見せつけられて、早い段階で開国の必然を悟ったものと推測されます。)

 

  揺れ動いた長州藩は、幕府恭順勢力(俗論派)が盛り返して、倒幕派家老などを謹慎・蟄居させ、数千の主力軍を各地に送って藩内を抑えにかかった時に、晋作 が伊藤俊輔らと下関市長府の功山寺で挙兵し、力士隊など僅か84名を率いてゲリラ戦法で形勢逆転させ、藩の実権を奪還します。

 

  晋作たちの行動に、松陰の教え(語録)が強い支えになったことは想像に難くなく、武士の覚悟を説いた言葉①②には決起を促す力があり、晋作は功山寺に匿っ ていた三条実美ら公家五卿に対して『これよりは長州男児の腕前お目にかけ申すべく』と決起の挨拶をした場面が感動的です。

 

 この決起は、藩内各地で「藩主に弓を引く」ことに躊躇して様子見をしていた諸隊の蜂起を促し、山縣狂介(有朋)の奇兵隊も立ち上がって正規軍に攻撃を加え「藩内クーデター」を成功させます。

 

【転換期に求められる生き方】

 晋作などの『正義派』は藩の権力を握ると、倒幕=「国のクーデター」に突き進み、龍馬らの斡旋による薩長同盟と、宮廷工作で錦の御旗を引き寄せて『官軍』を名乗り、幕府を追い落とします。

 ペリー来航から15年後、私たちの4代前の曾々祖父母の時代で、僅か140年前のことです。

 

 私は、多くの長州の人と知り合いました。 カミさんは世が世なら回船問屋のお嬢様です。

 この30年に、北海道から鹿児島まで20以上の都道府県で、遠洋漁船の出迎えや積込みを行い、番屋に泊まり込んで漁場作りを主導し、各地の漁師の仕事の流儀と力量をつぶさに見てきました。

 

 現代の下関では『わしゃのー(俺はナア)』が口癖の自意識過剰や『自分さえよければ症候群』が目につき、この地の先達が本当に維新を支えたのか、疑問を感じることが少なくありません。

 萩ではカミさんの従兄など気骨のある人に時々出会います。 幕府の関ヶ原以降の厳しい外様政策と、山陰の一隅で生活に耐えた時間が、鋭い洞察力や忍耐強い性格を育てたものと思われます。

 

  長州藩は、北前船集結地の下関や三田尻(防府市)から産業革命以後の西洋文化の情報がいち早く入り、新しい時代のウネリが起こり、その波が、『革命家』松 陰や弟子の晋作らの登場を促し、その後に富国強兵と大陸進出を進めた伊藤博文らの『政治家』や『能吏』を送り込んだのです。

 

 一方の「薩摩隼人」は勇猛で一目置かれた存在で、薩摩藩は東シナ海ルートや台湾・琉球国からの物品と武器で力をつけ、琉球侵攻後に行われた『外国統治』は征韓論の下地となりました。

 大久保利通らの反対で下野し、『無私』を貫いた西郷は敬愛される人物で、利通と対照的です。

 

 NHK「龍馬伝」は『いごっそう』の龍馬を捨て身で支える平井加尾(広末涼子)等の土佐の女性の描写が秀逸で、維新などの歴史でも(現代でも)本当の主役は女性だという見方ができます。

  土佐の人は明るく、大らかさと緻密さを備えた人が多く、情熱を持ち続け、粘り強く、己を抑え、人に信頼されます。 その典型である坂本龍馬や中岡新太郎によって結ばれた薩長同盟が時代の歯車を大きく回しますが、新政府では権力にしがみつかない潔い生き方が多かったよう です。

 

 私が尊敬する室戸の堀内さんは、緻密さと豪胆さにおいて日本一の定置網漁師(漁労長)です。 遠洋漁業では『牙をむく南緯50度』の過酷なミナミマグロ漁場で「室戸船(ぶね)の真似はできない」と言われる激しい長期操業に徹しますが、帰港した時や 普段の漁師は全く穏やかです。

 そこに共通するのは、厳しい試練を乗り越えてきた強い自信に裏打ちされた謙虚さです。

 

 日本はこれから、経済と効率優先で得た便利すぎる生活や、見えない不善を働き権利のみ主張する『自分さえよければ症候群』や『比較社会』から脱却し、本 質をおさえ、確かな生きがいを求めることが、個人の生き方としても、国のあり方としても問われるものと思います(続きます)。

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