コラム

26.私の時代認識8

2010年03月31日

【桜と死と】

 ヒトが寸暇を惜しんで働き、飽くなき利を求めている地球上で、木々は、ヒトよりも遥かに長い時間を悠々と生き、芽を伸ばし開花させ、各々の場で各々の生き方をしています。

 

 今年も桜が咲きました。 桜は門出に似合う花です。

 子どもたちが夢を抱いて進学し、社会に巣立って行ったのがこの季節です。

 

 私はリストラで退職して、子どもをこの地から巣立ちさせることを目標に起業し、出番を求めて漁場を巡り、桜前線とともに九州から四国、山陰、東海、関 東、北陸、三陸へと北上し、先々で早朝の定置網の操業に乗せてもらい、若い頃に遠洋サケマス漁船を追って幾度も渡った北海道まで脚を伸ばし、冷たい5月の 風の中で五稜郭の桜を眺めたことを思い出します。

 

 毎年3月は決算を迎えて、業績はどうか、資金は大丈夫か、手形が落ちる(決済される)か、という心配が頭から離れず、手形が紙切れになった夢で冷や汗が噴き出したことも一度ならずあります。 中小・零細の経営者の多くは、同じ様な思いで期末の決算期を迎えます。

 

 3月は自殺の多い月で、他の月より2割程度増え、多い年で3000人=1日100人が命を絶ちます。 この中には、自らの死による保険金で銀行から断られた資金を用意したり、会社の整理を果たした企業経営者が少なからず含まれている筈です。

 私も、負債を整理できる額の保険を自らに付保していた時期がありますが、クルマの自損事故という形で、文字通り身を以て責任を果たしたと思われる経営者もいました。

 自殺は、50代、60又は70代、40代、30代、20代の順に多いのですが、最近は30代が増え、1980年代からイジメによる10代の自殺が報道されるようになり、それが年々増えているように感じられ、日本社会の歪が表れているように思われます。

 

 今のイジメは、友だち関係が突然崩れて加害者と被害者に分かれるので立場が流動的で、それだけに被害者が苦しみ、親にも先生にも分かりにくい状況です。

 自殺の原因がイジメと想定されても、学校はイジメの存在を否定し、加害者や周囲はその実情を分かっていますが「自分さえよければ症候群」の親と同様、自ら言い出すことはありません。

 

 (折角の桜の季節に暗い話題ばかりでは桜に申し訳ないので) 簡単なクイズを一つ。

 花には、チューリップのように上を向くのと、百合のように横を向くのと、桜のように下を向くのとがあります。 では、桜の花はどうして下を向くのでしょうか。

 最も納得でき、感動した答えは:「見上げた時に美しく見えて、喜ばれるように、」でした。

 

【豊かさと反比例する心】

 「貴様と俺とは同期の桜・・」という歌には命を捨てる潔さがあり、私も若い時には会社の宴会などで同期入社の友と肩を組んで大声で唄ったことがありますが、今は、戦時に潔さを強調して戦意高揚を煽った罪な歌だと思います。 (無論桜に罪がある訳はありませんが)

 

 「ホタル」で有名になった鹿児島県知覧町には、特攻で散った人の遺書が残されており、愛する人や家族の無事と、戦争のない平和な国になるように強く願った文字が、胸に迫ります。

 日本は、若者が死を以て守ろうとした国としてふさわしいか、と問われると自信がなく、その崇高な志にそぐわない国に思え、次代の人たちに自信を以て引き継げないという負い目があります。

 

 今、『目指した以上の物質的豊かさと便利さ』を得ましたが、その結果、温暖化で地球に異変を招き、若い人が働ける場がなく、高齢者が生活に窮する状況が至る所で見られます。

 自己においては、迷いなく生きる信念を自身に植え付けることができなかった後悔があり、自らがそうであるように『自分さえよければ症候群』に溢れた現状を思い知らされています。

 

 私は現代社会の、①物質的豊かさと便利さ、②自分さえよければ症候群、③イジメ、④自殺、⑤草食性男子、という現象は関係が深く、これらは不可分であると考えています。

 

 窮乏時代から脱却すべく、ひたすら働き、人を蹴落として生き残ることを迷わず選び、学歴こそ必要と考えて家計を切り詰め、高い学費を厭わずに子どもを受験戦争に追いやりました。

 我が子が競争に勝って「よい学校」に進み、「教育」よりも、学費に見合う「よい就職先」=高い収入を望み、大学は就職の手段、高校は大学の手段となってしまい、「生きる本質」を学ぶべき学校本来の目的がないがしろにされてしまいました。

 

 「モンスターペアレンツ」は、教育ですら「契約上の損得」という概念で捉えて権利を求めようとするために、学校に行かせている我が子を優先しない学校や教師は、契約上の義務を果たさない相手としてみなし、教師を精神疾患になるまで追い詰めています。

 

 今の子どもは、物質的豊かさと便利さの中で、生きる訓練や我慢をせずに育つため、不遇や苦しさに弱く、イジメによって自殺に追い込まれやすい弱さを持ってしまうようです。

 

 少し前までは、風呂に入るにしても、風呂桶を洗い、水を汲み上げ、山で薪を集め、手順に従って薪をくべて湯を沸かし、自分の番になってようやく入ること ができる、という時代で、責任を以て仕事をして力がつき、工夫をこらして知恵がつき、親を優先して我慢が身につきました。

 

【クルマ社会の罪】

 「自分さえよければ症候群」はクルマ社会とともに強まり、広がりました。

 『人は右、クルマは左』と決められた社会は契約社会で、最終的には裁判でシロクロの決着をつけるという風潮が広がり、日本人が持っていた謙虚や互譲という大切なものを失いました。

 

 私は、このような物が溢れた時代を過ごすことになるとは思いもせず、まして、自分がクルマを所有し、運転することは予想もしていませんでした。

 就職した年末に帰省して白黒TVを買い、順次、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」を揃えて親の生活が人並みになったと思いましたが、世の中の便利さ追求は止むことがありませんでした。

 

 1967年に会社の先輩が軽自動車を買いました。個人でクルマを持つ時代に入ったのです。

 そのことにも驚きましたが、普段温厚な先輩から、事故などでトラブルが発生した時に「たとえ自分が悪いと思っても絶対に謝ってはいけないのだ」と教えられたことが強烈でした。

 心の持ち方において、日本人の生き方を変える転換期に差し掛かっていたのですが、それがさらに進んだのは、85年プラザ合意以降のバブル経済と推測されます。

 

 息子は1996年に、同乗した友人運転の軽トラが起こした事故で長期入院しました。

 症状が落ち着いた頃、軽トラ所有者が掛けていた任意保険の損保会社の交通事故賠償主任という人が突然訪ねて来ました、息子が未成年のため補償について親と話合いたいとのことです。

 

 その損保会社は非常に業績がよく、大学生就職人気度がトップクラスの「超優良企業」です。

  その人は多忙なのでと、すぐ本題に入りました。 その損保会社が払ったという治療費が記載された書類を示し「会社としては最大限補償したのでこれ以上できないが、特別に10万円を慰謝料としてお支払いす るように用意してきた。これで承知頂きサインを頂きたい」と言いました。

 

 「今日でなければいけないのか」と聞くと、「この慰謝料は規定になく、会社が誠意で出すもので、今日サインした場合に限られる」との説明でした。 当方は何の準備もなく迷いましたが、「休業補償は出ないのですか」と聞いた処、「これは失礼しました」と言い、その書類を引っ込め、休業補償が記載された 紙を出して、これは特例的な補償額であると説明し、今日サインした場合は慰謝料も渡せるので、この条件で調印した方が得だと言いました。

 

 信用できないものを感じたのでその日は帰ってもらい、知りあいの弁護士に相談し、次回そのことを伝えた処一方的に数字を上乗せし、その内担当が代わり、 何回か後に「これ以上は裁判でも出ません」と言って「最終案」という補償内容が提示されたので、息子と相談してサインしました。

 休業補償、慰謝料等が相当上乗せされましたが、一連の経過を振り返ると、超優良企業とは、顧客をダマして保険金支払いを抑えて、業績を上げてきただけではないかと思えました(続きます)

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