コラム

25.私の時代認識7

2010年03月14日

【日米核密約】

  今、日本で最大の問題は、政府が50年間も国民をダマシ続けてきた核持ち込み密約です。

  民主主義国家であった筈の日本において、歴代の首相や外務事務次官などによって密約が引き継がれ、つい最近まで外務事務次官が存在を否定してきたもので、ギリギリまで、民主主義の根本のところで国民に背いてきたという事実が、明らかになりました。

 

  この過程では真相究明しようとした毎日新聞の西山記者を裁判で退け、社会から葬っています。

  しかも重要な文書の保管さえ不十分で、その管理責任すら不明であるという問題も伴っており、

  二重・三重に真実が隠ぺいされてきたもので、大変おそろしい実態が分かってきた訳です。

 

  日本側で最も深く関わったとされる佐藤栄作氏は、その後ノーベル平和賞を受けましたが、彼は、国民に対する面従腹背を恥じなかったのか、自身は正しく、国民は愚かな者の集団と思っていたのか、という率直な疑問が湧いてきます。

  既に米国では密約を示す文書が公開されていましたが、歴代の首相や事務次官は国会答弁などで、堂々と嘘をつき通してきた訳で、今、当時の政権を担当した首相一人ひとりの写真を見ると、「この顔でよく白々しく言えたものだ」と信じられない思いがします。

 

  これを主導したのは長く政権の座にあった自民党と外務省であり、その責任を徹底的に追求して、どこに問題があったかを検証して、同じ過ちをさせないようにすることが重要です。

  イギリスでは米国のイラク攻撃に加担したブレア前首相が独立調査委員会の証人喚問で調査を受けていますが、日本も大量破壊兵器の存在を根拠とした自衛隊派遣の責任を当然問うべきで、国を動かす政府の政策を曖昧に終わらせないことが大切だと思います。

 

  最近、拉致事件解決が前進しない現状や北朝鮮の勝手な振る舞いに対して、若い政治家の中に日本の「核所有」を主張するような勢力が芽生えていることに、大きな危惧を感じます。

  ヒトは威勢のいい論調につい押されてしまう傾向があり、苦労知らずの2世・3世議員が踏み外しそうな民主主義のルールを、この辺でしっかり守ることを再確認する必要があると思います。

 

【主流と本質の相違】

  核密約を明らかにしたのは民主党で、岡田外相などが地道に取組んだ結果だとは評価できますが、それを可能にしたのは政権交代で、選択したのは国民であることを、忘れないでもらいたいと思います。

  今、民主党の政策は明らかに「ブレている」と感じられますが、その原因は「主流」と「本質」の見分けができていない点にあると思われます。

  「主流」とは大勢のことで、一見安定しているようですが流動的で、僅かなことで簡単に変化する危ない特性を持っています。

 

  つい最近でも、小泉氏が叫んだ「自民党をぶっ壊す」や「官から民へ」等の『アジ的言動』に国民の多くが酔い、一見本質を突いているかの政策に乗せられて、それが「主流」になりました。

  海外で献身的な支援を行っていた活動家が武力グループに拘束された時には「自己責任」を国民がこぞって謳い、心ある活動家を批判したことがありました。

 

  「主流」には居心地のよさがあり、政治家からは選挙を大きく左右する勢力として、喉から手が出るほどの魅力を感じ、そこに迎合したくなるのは人情だと思いますが、本来目指すべき民主主義や政治とは必ずしも一致しません。

  今、中国が急激な経済発展を遂げつつありますが、その陰には、制度の許認可や予算配分権を持つ官僚の汚職が目に余り、政府は犯罪者に見せしめ的な刑罰を 行って綱紀粛正の姿勢をとっていますが、一党独裁を通すための人権活動家へのなり振り構わぬ弾圧を見ると、「本質」には目を逸らして、経済至上に遮二無二 突っ走って「主流」を誘導する政策がうかがわれ、民心を二の次にしている未熟さを感じます。

 

  今、日本人が不安なのは、終身雇用を基本とした「一億総中流」だった時代が崩壊して、資本主義の弱肉強食制度が一層進んだ「格差社会」に放り出され、一歩レールを踏み外すと一生「主流」に戻れないという不安定な状態に置かれているからだと思います。

 

  格差社会においては「比較」の現実が一層身にしみるようですが、私は最近、ヒトは格差社会にあっても幸せを感じて生きていけるのではないかと、思えるようになりました。

  それには、自分を他人と比較せずに「本質」を求めて生きていくことではないかと、ほぼ確信できるようになったためです。

 

【生きているという不思議】

  私は、先日誕生日を迎えて67才になりました。

  よくここまで生きることができたという思いはありましたが、その感慨が強くこみ上げてきたのは、先日の誕生日でした。

 

  新聞に、65年前の、1945年3月10日に東京下町が米軍による大空襲で一夜で焦土と化し、10万人が亡くなったことが報じられていました。

  米軍は、空襲の「効果が上がる」夜を選び、周囲に火の玉が上がるようにして逃げ道を塞ぎ、そこに30万発の焼夷弾を隙間なく落して火の海を作り、戦争に赴いた軍人以外の、残された無辜の民、女性・子ども・年寄り・病人を殺戮しました。

  「熱地獄」の中を逃げまどう人々は、争って隅田川に飛び込みましたが、そこは既に、焼け焦げた死体が折り重なるようにして、海に向かってゆっくり流れて行く「水地獄」だったと言われます。

  米軍はその「成果」を「戦略爆撃」と位置づけて、これ以後、軍事施設中心から、都市を丸ごと破壊して住民をできるだけ多く殺す作戦に切り換え、12日に名 古屋、13日大阪、そして神戸と広げて、合計30万人の「成果」を上げ、さらに、その仕上げに広島・長崎に原爆を投下しました。

 

  東京大空襲の惨状が、昭和天皇の目に触れないようにと、急いで死体などが片付けられたために、戦争終結の判断が遅れたという見方があり、そのような「処理」は国民の痛みや悼みを分かろうとしない軍部と、戦争に協力する民間勢力によってなされた筈です。

  実は日本も、日中戦争で中国の重慶で同様の戦略爆撃を行って1万人以上の犠牲者を出したとされており、日本は被害者であると同時に加害者でもあり、複雑な思いを禁じえません。

 

  私たち母子が助かったのは、不穏な空気を感じた母の父親が、埼玉県鳩山村(現鳩山町)から牛に荷車を引かせて片道100kmの道を往復3昼夜かけて、ごっ た返す東京に入り、娘と二人の孫を乗せて東京脱出を図ってくれたお陰で、あの大空襲を間一髪で免れたという幸運によります。

 

  私は最近まで、定置網や大規模生簀などの設置作業を主導して、海上の仕事に人一倍多く従事し、若い時は年に100回近く潜水を繰り返し、潜水病や事故と隣 合わせの場所に身を置き、軽い事故でも腕や肢を失う土嚢投入作業の指揮を執っていましたので、何度か危険な目に遭いました。

  それでも、私も、一緒に仕事をしてもらった各漁場の乗組員も、指1本失うことなく無事を貫くことができたのは、自分の力で事故を防いできた結果であると自負していました。

 

  しかし、東京大空襲の時は満2才の一日前でしたから、祖父が迎えにこないで、あのまま東京に残っていたら間違いなく死んでいた訳で、生き延びたのは自分の力でなかったのは歴然です。

 

  30才の時、定置網の中を潜水中にボンベの空気がなくなったので浮上しようと海面を見上げ、潮流で吹かれた網が海面近くを覆っているのを見て強い恐怖感に 襲われ、網を押し上げて早く海面上に顔を出したいと思って浮上しかけました。 海面の下方に広がっている網が人の力では動かないのを誰よりも知っている私が、最も危険な状態になる「潜水パニック」に陥っていたのです。

 

  その時「待て、あわてるな」という声で我に返り、気持を落ちつけ、腕の磁石で検討をつけた「網口」方向に進んだところ、脱出できました。もう強く吸っても空気が出ないギリギリの状態でした。

(慌てていた浮上を止め、冷静さを取り戻させた「声」は何だったのだろう。と今でも思います)

 

  もし、2才の時、又は30才で死んでいれば、それから先の私の人生はなく、現在社会の一員である3人の子どもと可愛い2人の孫はこの世に存在せず、子や孫が関わっている社会や時間のその部分は存在しないのであり、まったく別の世界になっている訳です。

 

  自分が生きていられるのは、顔も名前も知らない先祖がいて、親を生んで育ててくれた祖父母がいて、生んでくれた親がいて、兄弟がいて、教えてくれた学校が あって先生がいて、友人がいて、仕事をさせてくれた会社があって、多くの人間関係があって、今があるということだと思います。

  そこに思いが至るようになって、生きていることに喜びを見出すことができるようになりました。

 

【起業は危業】

  51才で30年勤めた会社のリストラに遭い、仕事と家庭の両立を目指して退職を選び、起業しましたが、それまで社会の本当の苦労や怖さを知らなかった「ヘナチョコサラリーマン」の起業は実に危なっかしいものでした。

  「起業」を奨める本や、セミナーが目につきますが、無責任なものが殆どであり、起業5年後に残っている企業は5%に過ぎないと言われており、95%は倒産や解散あるいは夜逃げなど、悲惨な経過を辿っているのが実情で、「起業は危業」というのが私の実感です。

 

  もし、友人でも後輩でも息子でも、起業したいと相談を受けたら無条件に反対します。

 

  私が曲がりなりにも15年以上会社を継続できたのは「健康と支え」に恵まれたことに尽き、目先の利益より「心の持ち方」に軸足を置いて、自分ができる役割を果たそうとしたことが、辛うじて会社を続けることにつながったものと思います。

 

  「健康と支え」において、自身の健康は無論ですが、家族の健康が守られたことが何よりの支えとなり、「心の持ち方」で幸せを感じることができるようになり、そのことが分かってくると、自分の子どもや他人の悩みが少しずつ分かるようになりました。

 

  起業直後に仕事が進まず、気持が萎えそうになった時、全くの偶然に、それまで存在すら気に留めなかったキリスト教会の門をたたいたことによって、一員に加 えてもらい、いつも迎えてくれる礼拝堂の花とパイプオルガンに安らぎを覚え、牧師の説教とお茶の時間の教会員との語らいで気持が楽になり、いくつかの難関 を越えることができました。

 

  まだ「信仰」などと言えるものではありませんが、最後には海が見える教会の墓地に入れてもらえる、と思えるだけで安らぎがあり、日々生きる力が湧いてきます。

 

  聖書に「門をたたきなさい。そうすれば開かれる」という言葉があり、困難な時こそ気持を明るく前向きに保ち、いつでも「門をたたきなさい」と教えています。(続きます)

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